サービスの必要性と「共感」という支援者のエゴ。

新年度も何とかはじまりました。

人手が少なくなった分、ケッコー大変です。

それでもなんとかというかスタッフ一同がんばってます。

最近よく考えることがあります。事業の方向性というヤツでしょうか。。私たちは「障害」のある人(こども)たちの生活を支援していこうという活動をしています。

世の中にはたくさんの「足りないもの」があります。

そのことを「サービス」として創りだしていくこと、運営していくことで当事者の生活が便利になること、社会に対して訴えていくことになればよいと考えています。

そして、私たちが仕事(活動)をしていく上で大切だと思っていることのひとつに「共感」ということがあります。

「共感」は、支援者である私たち自身が当事者の生き方や思いにふれて、人間としてその人を支えていきたい(いくべきだ)というような気持ちをもつことを言います。

支援者も人間ですから、障害者であれば誰でも助けるんだとか、そういった「無差別の愛情」は持ち合わせていません。

例えば「この人が求めているものは本当に必要なのか」とか、「AさんとBさんの暮らしや障害を考えたときにAさんの方がどう見てもしんどそうだと思うのだけど、AさんもBさんも等しく機会を提供しないといけないのだろうか」といったこと考えてしまうことがあります。

また「自分たちの事業や団体の方向性に賛同してくれていろいろと協力をくれる」当事者もいれば「ただ職務的にきっちりとしたサービスを提供してくれればいいのよ」という人もいます。

当事者(利用者)への共感をふりかざすと、どうしても支援者のエゴが支配してしまうだろうし、それでも困っているのなら誰にでも等しくサービスを提供するということが活動の本旨かといえばそうでもない。

人員不足の中で、事業のサービス水準をいかに維持しようかということに奔走するとどうしても自己の気持ちの中に矛盾を感じてしまいます。

しかしNPOとして法人という人格を持ったものが特定の人だけに手厚くするようなことはしてはならないだろうし。

程度の具合はあるでしょうが、誰もが利用できるサービスと支援する側の共感が時に対立しながら思い悩むことが多くなりました。

(粟津)