「恵まれない子ども」じゃなくて「がんばっている子ども」

「恵まれない子ども」という表現で、国外の「ストリートチルドレン」や「エイズ孤児」などに
大々的に支援を呼びかける情報をよく目にします。

私も、今から10年ほど前までは、毎年自分の誕生日に寄付をしていました。
毎年誕生日を家族が祝ってくれる。
それが当たり前と思って暮らしていた子どもの頃にはわからなかった事実、つまり
広い地球のどこかに、誕生日もわからない、年齢さえもわからない、
そんな子どもがたくさんいるということを知り、
自分がこの一年間、食べ物や着る物に困らず生きてこられたことを感謝すると共に、
「恵まれない子ども」に幸せのおすそ分けをしよう。
そんな気持ちでした。

でも、今は、寄付をやめています。

その代わりに、国内の子どもの直接的支援をしています。

布団の上で寝られない、食べられない、着る物もない子どもは、
日本から遠く離れた国を見渡さないでも、私たちのすぐそばにたくさんいるという事実を
知ったからです。
 
 虐待を受けていて、家に帰れない子ども
 親に捨てられた子ども
 家に居場所がなくて、家を捨てた子ども
 家庭で得られない優しさを求めて、都会の裏側にたどりついた子ども・・・

その子どもたちは「お金」を望んでいるわけではない。
もちろん、当座の生きていくための最低限のお金は必要です。
でも、お金だけを渡せばそれでいいでしょうか?

そうではありません。

「生きていくこと」
そのものをサポートすることが必要です。

どんな子どもでも、「夢」を持っています。
どんな子どもでもです。
自分の「夢」の話に、耳を傾けてくれる人が誰もいない。
こんな悲しいことありません。

「お金」だけでは「夢」は実現しないのは、大人であれば誰でも知っていますよね。

路上でたむろしている子どもたちのそばを通りかかるとき、
画面に映る国外の子どもたちに寄せる気持ちと同じ気持ちを持ってみませんか?

ところで、「恵まれない子ども」という表現はわたしは今は使っていません。
「恵みから取り残された子ども」の方が実態に合っているように思います。
でも、その表現も、わたし的にはすきじゃないので、
わたしは「がんばっている子ども」と言ってます。
だって、この世知辛い日本で、
他国の子どもには優しいけれど国内の子どもには無関心なこの国の都会の裏側で、
果敢に生きているのだから、すごいじゃないですかっ!

そんな子どもたちこそ見果てぬ「夢」を実現できる粘り強さがあるように思います。
でも、誰かが耳を傾けないと、「夢」ははかなく消えて行くのですよねー。

昔、「幸せのおすそ分け」なんて思いながら、国外の子どものために寄付していたわたしですが、
今は子どもたちの悲しみや憤り、そして夢に耳を傾けながら、
子どもたちからたくさんの元気をもらっています。

そんなキララの活動のために、資金と基盤強化の支援をしていただいている企業があります。
 
 NTTドコモさんとPanasonicさんです。

いつもありがとうございます(%ハート%)(%ハート%)

 *NTTドコモさんの助成金「モバイル・コミュニケーション・ファンド」は
 児童虐待をはじめとする地域の子どもを支援するNPO法人に対して
 助成していただけるという、とても珍しいシステムになっています。