「手記集」JR福知山線脱線事故〜あの日を忘れない〜

きのうは、久しぶりに小椋聡さんとお会いして、
手記集の件の事務処理をしていました。
本当に、よくこういうことが出来た(実現した)ものだと、
改めて思いました。
小椋さんの真摯な思いが実現させたのでしょう。
お疲れさまでしたね。
今も、いろいろ考え、そして、辛そうですね。
そっと見守るしかできません。

また、蔭ながら、この活動もサポートしてきてくれた
NPO法人のコアスタッフにも、本当にありがたく感謝します。
このスタッフがいてこそ!です。ありがとう。

でも、この事故の「辛さ」は、まだまだ続きます。
何かが出来あがって、何かが報告されたからといって
この事故のもたらしたことが終わるわけではなく、
それは、あくまでも「節目」、あるいは「通過点」でしか
ありません。そういう「区切り」を求めるのは、
むしろ周囲の側ではないでしょうか?

もしも、自身が「区切り」をつけたがっているとしたら、
それはこの事故のもたらしたものと、真摯に向き合う
姿勢に欠けつつある状態だと、自身を計るバロメーターに
してもいいのでは?と思えます。

もちろん、日々の生活を送っていく意味では、上手に
事故と対峙していかねばなりません。
しかし、「そろそろ区切りを」と考えるのは、
違うのではないかと・・・。
おそらく、この事故がもたらすものとの対峙は、
一生続くのだと、そう思っています。

※HANAREの落ち着いた雰囲気が、こういう作業に
ピッタリでした。