映画「三太のラッパ」上映!!

7月28日(土)午後8時、ついに65年前の三津浜でロケが敢行された映画「三太のラッパ」が上映されました。
この映画は、当時の三津浜の小学校(梅田小学校)の先生が映画会社に応募したシナリオが見事入選し、作品化されたもので、三津浜を舞台とした戦意高揚映画です。
フィルムは遺失し、三津浜のお年寄りの記憶にだけ残る作品となっていましたが、愛媛県出身で、東京国立近代美術館フィルムセンター研究員だった佐伯さんが、ロシアのとある小さな村のフィルムアーカイブで発見し、日本に持ち帰っっていました。
そして、鯛やのご主人、森さんの是非この映画を三津浜のお年寄りに見せたいという思いが、今回の上映につながりました。
フィルムは、前半の20分しか残存していませんが、往年の三津浜を舞台にした幻の作品を見ようとお年寄りを中心に多くの三津浜の人たちが来てくれました。

数奇な運命を経て、不完全な形でしか残らなかったこの映画の上映は、この機会でしか実現し得ないものだったと思いますが、それだけに作品の質を超えた価値ある何かを一瞬ではあるけれども感じることが出来ました。
ご協力をいただきましたフィルムセンターの栩木さんや東宝さんをはじめ関係者の皆さんに感謝申し上げます。(nori)

最初のあいさつは鯛やの森さんです。

「三太のラッパ」のタイトルが出たとき、会場から拍手が湧きました。

以下、フィルムを発見した佐伯さんから寄せられたコメントです。

「三太のラッパ」について

 この度関係各位の協力の下、ご当地の三津で「三太のラッパ」が上映されるとのこと、何よりの慶事であり、この作品をロシアで発見したときの情景を思い浮かべながら記しておきたい。
 発見場所はロシア連邦共和国、モスクワから70キロばかり南にあるベリー・ストルビー(「白樺の林」の意)という村。ここに「ゴスフィルモフォンド」という国立のフィルム・アーカイヴ(保存所)がある。当時(1996年)東京国立近代美術館フィルムセンターの研究員であった私はこのアーカイヴに滞在し、その所蔵する日本映画を調査していた。そして結果的に、わが国には存在しない戦前の日本映画(その多くは満州国から戦利品としてソ連に持ち込まれたフィルム)を発見し日本への里帰りを果たしたわけだが、この「三太のラッパ」はその成果の一つであった。
 冒頭に「この物語は、風光明媚な瀬戸内海に臨む港町、愛媛県三津浜の小学生の実話より取材せるものである」との字幕が出る。原作は高須賀公正、脚色は南旺映画文芸部。楽隊を作ろうとする少年とそれを見守る教師の交流を描いたもので、監督は津田不二夫。出演は、林文夫、高橋君子、田中春男など。年配の方のなかには覚えている方もいるだろうが、とぼけた個性に味わいがあった田中春男(1912-92)の第一協団時代の出演作品でもある。楽器を手に入れるために大八車をひいて懸命に働く少年の姿がユーモラスである。雨の日に働いて寝こんでいても、ラッパが欲しくてたまらない様子が微笑ましい。たぶん実景も多く用いられているのだろうが、光が降りそそぐ「風光明媚な」土地の様子も窺える。往時の三津を知る方には懐かしい風景にちがいない。
 私にしても、遠く離れたロシアの小さな村の、薄暗いアーカイヴの一室で、まさか松山の港町、三津の戦前の景色を目撃するとは思わなかった。そういえばはるか昔の高校時代、見落とした映画を追いかけて「柳勢座」に通ったものだ。懐かしい。

佐伯知紀 (文化庁芸術文化調査官/映画史家)
(さいきとものり)
1954年生れ、久万高原町出身。早稲田大学大学院文学研究科修士課程了。東京国立近代美術館フィルムセンター研究員を経て、03年から現職。