中村記者、いつかまたどこかで!

「市民事務局かわにし」は、普通なら、地味ィ〜な裏方的な
事務仕事ばかりをしている中間支援NPOだと思いますが、
設立とほぼ同時に、この地域に起こってしまった、
JR福知山線脱線事故に、私どもも巻き込まれてしまい、
そして、当法人の持つ中間支援機能を活かして、
事故被害者(主に負傷者の方々)の支援に取り組んだことから、
多くのメディアの記者の方々ともご縁ができました。

その事故当初、私たちが文字通り、右も左も何も
分からない時から、丁寧に、私たちの傍らに添って
取材を重ねてくださった記者のお一人に、
産経新聞の中村宏二記者がおられます。
私たちは、今週末も被害者の「つどい」を開催しますが、
その開催前の事前告知をほとんど欠かさず続けてくださったのは、
産経新聞さんだけで、それは、中村記者のお蔭と言っても
過言ではないと思います。

その中村記者も、とうとう異動されることになってしまいました・・・。
ご栄転だと思いますので、喜ぶべきところですね。
でも、事故直後から継続して取材を続けてくださっている方が、
たった二年ぐらいで、一人、また一人と減っていき、淋しい限りです。
「記者のみなさんの異動と事故の風化?」
風化はもしかしたら、メディアから始まっていくのか・・・、
そんな思いさえします。

中村さん、真摯な取材を本当にありがとうございました。
「いつもアポなし」といいながら、先日のご挨拶には、
チャンと私たちの揃っている火曜日に来てくださったこと、忘れません。
また、毎月、第3木曜日に開催している「つながりカフェ」を、
年に一度、4月だけは、25日に開催することにしましたが、
その時に、取材で忙しい日々、当日も猛烈に忙しい日であったでしょうに、
個人の立場でご参加くださったこと、忘れません。
また、その時、涙で言葉に詰まりながら、あの事故の現場で
感じておられたことを、絞りだすように話してくださったこと、
決して忘れません。
新しい勤務地でも、どうか(風貌に似合わない?!)優しい、
人に寄り添う姿勢を持ち続けて、いいお仕事をしてくださいね。

パレットかわにしを出て行かれる時、
いつかまたどこかできっとお会いできる!と
敢えて、後姿をお見送りしませんでした・・・。
スタッフからの忠告、「タバコの吸い過ぎ」に
気をつけて、お元気で!(^^ゞ
スタッフ一同、心からの感謝を込めて・・・。