8/15松山城「腹切り石」の真相?

15日14:00南高校で加藤さんと待ち合わせ。菊ちゃんと一緒に向かった。
歴史の先生である三好先生のお話を聞く。

松山城の「腹切り石」・・・男の子ができなかった城主”蒲生忠知”が女の腹を切り裂いた時にまな板代わりに使ったといわれる石が松山城の二の丸に現在もある・・という。
それが本当なら松山城での結婚式は・・?(;_;)/~~~

その真相を三好先生に教えてもらいに行った。

松山は、松前と勝山の松と山を取って付けられた。
この松山と名づけたのが、加藤嘉明・・松山城を作った人だ。この話は誰もが知っていると思う。
この加藤嘉明と一緒に城下町を作ったのが優秀な土木プランナー足立重信\(^o^)/
一番町・二番町・三番町に侍が住んで、ロープウェイ街には足軽が住んでいた?!

松山城の本丸を加藤が、二の丸を蒲生が、そして、三の丸を松平が築いたらしい。

松平が松山を支配するにあたって、氾濫?を防ぐために、前城主の蒲生の悪口を言ったとか・・そのひとつが”腹切り石”
真相は、うそ??