パレスチナ映画『シャティーラキャンプの子どもたち』と講演@京都

うづです。

「EARTH VISION 第7回地球環境映像祭」入賞作品である、
メイ・マスリ監督の『シャティーラキャンプの子どもたち』の
上映が今週末、京都にて行なわれます。
上映に続いて、岡真理さん(アラブ文学)の講演もあります。

このパレスチナ映像作家のドキュメンタリー作品とともに、岡真理さんのお話を聴いて、
より深く作品の襞に入っていく機会があるということ。
個人的に京都周辺にお住まいの方々が本当にうらやましい限りです。
詳細は下記の通りです。

—————-<以下転送・転載大歓迎!>—————-

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■ドキュメンタリー上映&トーク

【パレスチナ緊急支援のための特別企画】 by ピースムービーメント

パレスチナ映画『シャティーラキャンプの子どもたち』上映と講演
監督:メイ・マスリ
(パレスチナ/47分/ビデオ/1998年)
半世紀におよぶ難民生活の中で虐殺・病気・飢えを経てきたシャティーラ・
キャンプの現実を生きていく子どもたちの夢を描く。
「EARTH VISION 第7回地球環境映像祭」入賞作品。

●日時:9月30日(日)午後1時45分(開場1時30分) 2007年
・午後1時45分2時35分 『シャティーラキャンプの子どもたち』上映
・午後2時40分3時40分 岡真理さんの講演
 『大地がぼくらに閉じてゆく 国民ならざる者たちの60年』
・質疑応答など
(午後4時10分頃 終了予定)

●会場:ひと・まち交流館 京都 大会議室(2階)
 (河原町五条下がる東側)
 案内:http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html
 京阪「五条」駅下車徒歩8分/地下鉄烏丸線「五条」駅下車徒歩10分
 会場TEL:075-354-8711

●参加費:一般1000円・学生500円
●主催:ピースムービーメント実行委員会 
●問い合わせ:
 TEL:075-751-0704(山崎)夜間21:3022:30
 E-mail:ANC49871@nifty.com

※本上映会の収益は、かかった経費を除き、
NGO『パレスチナの子どもの里親運動』
http://www5e.biglobe.ne.jp/~JCCP/
に全て寄付します。

●作品提供・協力:アース・ビジョン組織委員会事務局
 http://www.earth-vision.jp

●映画紹介
『シャティーラキャンプの子どもたち』
監督:メイ・マスリ
(パレスチナ/47分/ビデオ/1998年)
レバノンのパレスチナ難民キャンプに暮らす12歳の少年イーサと11歳の少女
ファラ。監督にビデオカメラを渡された彼らの眼に映る日々の暮らしと家族の
歴史、そして、その深い傷。半世紀におよぶ難民生活の中で虐殺・病気・飢え
を経てきたシャティーラ・キャンプの現実を生きていく子どもたちの夢を描く。
「EARTH VISION 第7回地球環境映像祭」入賞作品。

○メイ・マスリ監督のプロフィール
パレスチナ人映像作家。監督、及びプロデュースしたドキュメンタリーでの受
賞作品は数多く、世界各国で放映、上映されている。主な作品は「War
Generation」(1987)、「Children of Fire」 (1990)、「つかの間の夢」
(1992)、「ハナン・アシュラウィ 時代の女」(1995)、「夢と恐怖のはざまで」
(2001)。
現在、「夢と恐怖のはざまで」の収益金をもとに、「パレスチナこども基金」を設
立。パレスチナ難民キャンプのこどもたちが教育を受け、自らの手で未来を築
いていくための一助として、奨学金を出している。

○岡 真理(おか まり)さんのプロフィール[トーク]
京都大学大学院人間・環境学研究科教員。現代アラブ文学。
学生時代にパレスチナ文学に出会い、以来、パレスチナ問題に関わる。
現代世界に生きる人間の普遍的思想課題としてパレスチナ問題を考える。
『棗椰子の木陰で第三世界フェミニズムと文学の力』(青土社、2006年)
『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社、2000年)、
『記憶/物語』(岩波書店、2000年)など。

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レバノンは昨夏、イスラエルによる空爆を受け、南部には依然、停戦合意の直前にイス
ラエル軍が投下したクラスター爆弾の不発弾が大量に残され、新たな被害を生んでいま す。
そして、今年、北部のナハル・エル=バーレド・キャンプに武装勢力が侵入、レバノン
国軍の攻撃を受け、キャンプ住民たちにも被害で出ています。
ナハル・エル=バーレド・キャンプの住民たちは、シャティーラ・キャンプをはじめとする他のキャンプに避難、しかし、すでに満杯状態のキャンプでは、住民たちと避難民のあいだで軋轢も生じています。
今年9月は、わずか40数時間のあいだに2千名以上もの住民が虐殺された、1982年のサブラー・シャティーラのジェノサイドから25年目にあたります。
25年たっても、レバノンの難民たちは依然、何かあれば、行き場もなく、あのときと同じように、命を奪われるという情況が続いています。
なぜ、難民たちは繰り返し虐殺にさらされねばならないのでしょう?
翻って、日本では、今年、戦後62回目の夏を迎えました。
「唯一の被爆国の国民として」という言葉をよく聞きます。
ヒロシマ・ナガサキというジェノサイドを経験した国の「国民」として、私たちは62年という歳月を刻んできたわけですが、では、その私たちは、「国民」ならざるがゆえに、サブラー・シャティーラというジェノサイドを経験し、いま、また、虐殺を経験している難民たち、どのように繋がることができるのでしょうか?

岡 真理
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