最近高齢者の福祉について考えさせられています

私は子育て中はわが子の健康を守るために
安全な食品や薬品、環境問題などに取り組み
10年以上消費者の権利について考えてきました

その後わが子が自立独立する時期に
全国で子どものいじめや自殺問題が起きてからは
子どもの人権について10年以上取り組んできました

子どもは成長過程であり判断力も経済力も
体力も社会性も未熟ではありますが
それでも未来を担う可能性を秘めた存在であり
1人の人格として尊重され
子どもにとって最善の利益が優先されるとしたのが
国連子どもの権利条約です

では判断力も経済力も経済力も体力も社会性も
衰えてくる高齢者の権利はどうなのでしょうか
長い間家庭や地域や社会で必死に生き抜き
たくさんの貢献をしてきた人たちですから
最後までその人らしさを尊重されて
人間らしく生きる権利があるはずです

それを保障するのが福祉だと思うのですが
その内実に触れ言葉も出ないほど驚いています
介護老人保健施設に入るには1ヶ月の査定期間があり
施設や周囲の人に迷惑をかけないか
家族は定期的に面会に来るかなど
規格に当てはまらなければ入所を断られるというのです

規格に当てはまらなければ排除される論理は
社会の隅々まで行き渡っているのですね

私はベルトコンベアーの野菜を思い出します
自然の造形物であるはずの野菜を
まるで工業生産物のように異常なほどの緻密な規格で振り分け
排除される野菜たちです

人も野菜も無理やり規格どおりに当てはめられ
悲鳴を上げているのではないでしょうか
ゆりかごから墓場まで人の一生の人権が
福祉で守られる社会が実現するのに
あと何十年掛かるのでしょうか?

<パピルスは亡くなった父の思い出があります>