思考の交流「言説の鬼」Ⅳ

みなさま、いかがお過ごしでしょうか思考の交流「言説の鬼」です。
カコアのAAFも中盤まで差し掛かりました。ブログでも紹介している通り、フォトリレーカメラも旅立って行きましたね。11月の回収が楽しみです。

さて、思考の交流は4人目の論者、高知はTACOの竹村さんです。
淡路のやまぐちさんありがとうございました。
とはいいましても今までの「思考の交流」も書き込み中止ではありません。
論者のみなさんも、コメンテーターのみなさんも、
どんどん書き込みOKです。バーチャルなステージですが交流を深めましょう。
よろしくお願いします。

TACOに関してはhttp://taco.jpn.ch/
をご覧ください。それでは、竹村さんの原稿をご高覧ください。

あなたのアートの引き出し教えてください。

まずは自己紹介

はじめまして。高知でのんびりとやってるART NPO TACOの竹村といいます。去年までは公園設計や地域計画を立案する仕事をしていましたが、今はデザイン事務所に勤務しています。で、ART NPO TACOでは、一気にファスト風土化が進む高知の街の風景を記録した『高知遺産』や、理事でもある村岡マサヒロさんの漫画『きんこん土佐日記』を高知新聞社と協同で出版するなど、最近まではどちらかというと出版NPO?みたいな活動を展開してきました。この秋にはようやく『蛸蔵』という自前の拠点を持って、各種稽古やイベントにも利用できるフリースペースの運営を開始することになりました。カコアさんやまちラボさんとは、こうした流れの中でお知り合いにならせていただきました。

難しいお題なのでずらして考えてみますアートNPOに携わるのは、ただ高知が好きだから

お題は「あなたのアートの引き出しを教えてください」ですが、正直ちょっと難しい質問です。なので、まずなんで私がこういう活動をしているのか、ということを考えてみました。たぶん、これまでの論者の方たちに比べ、ずいぶんずれた事を書いてしまいそうですが・・・
 自分の活動の中心にあるのは、「高知が好きだ」ということです。
 なんで好きか。私は高知生まれですが、子ども時代を東京で過ごしました。そして、その頃の夏休みに帰る「田舎」といえば母の古里でもある島根で、高知はほとんど父の土産や本でしか知らないような「田舎」でした。だからでしょうか、子ども時代から高知への思いは妙にひねくれてた愛情にまみれていて、寝る前になるとベッドの上で龍馬の本を読み漁り、行った覚えも生まれた記憶もない高知のことをずいぶん調べようとしていたものです。で、なんか高知好きだなあと、「知らない町」への変な慕情が育っていったような感じがします。
 たぶんそのころのまま、今の仕事もやっているような気がします。高知で生まれた、高知が好きだ、高知をなんとか面白くしたい。じゃあ自分のやれることはなんだ?ということだけが大原則。だから、余所の街のためになんかしよう、という気概は自分でも恐ろしいほどに低いです。あるとすれば、島根になんかお返ししたいなあ、というくらいで。
 結局、私にとってのアートの引き出しとはなにかという答えは、ここです。高知にもいろいろな作家がいる。高知にもいろいろな出来事がある。そして何より、おいしい食べ物や気持ちのいい場所がいっぱいある。でも、放置しておけば誰も知らないで終わってしまう。今までは、そのひとつひとつが知られていなかったから、結局高知には何もないといって(おいしい魚があることはみんな知っているが)みんな東京やら大阪へあこがれ始める。

たのしいところをひきだしたい。たぶん、アートはそのひとつ

じゃあ、そのひとつひとつの「たのしいところ」を、何らかの形で引き出せないか? 残せないか? そのことが、高知に暮らす上での、変な言い方をすれば自信につなげることができないか? だから、アートであれなんであれ(アートという言葉は大嫌いなので使いたくないですが)、そのものが高知で暮らしたいとか、高知へ行ってみたいというきっかけになれば、それでいいんじゃないかと。だから、まずは「高知遺産」という本を仲間と一緒に出したのでしょう。本ほど強いメディアはないし、本ほどしっかり語れる場所もない。
 まあ実際には好きだ好きだというても嫌なことはたくさんあるし、いごっそうじゃはちきんだといった人々とのやり取りに疲れることもあります。また、議論はあっても実現しないという高知県人の特性に見事自分もはまっているところがあって、どうにもいまいち前に進みません。私たちがやっているアートNPOでも、BEPPU PROJECTや松山、高松のNPOの動きに比べるとずいぶんと歩みが遅いし、もっとアートというものに真剣になった方がいいのかも知れません。

だけど、こんな小さな街で思い切り「これがアートだ!」と言い過ぎても、結局いまいち浸透はしにくいんじゃないかとも思うのです。どこかで「はいそうですか」と言われるのがおちというか。むしろ、アートもカツオも同じなんだということを、アートの目線ではなくカツオの目線から伝えるような、そんな仕掛けが必要なんじゃないかと思いはじめているところです。今しばらくは、その下準備期間、なのかも知れません。

タケムラナオヤ
ART NPO TACO副理事長
高知逍遙ブログ百足館通信 http://mukade.camera-talk.com/
ART NPO TACO http://info.taco.moo.jp/