(この記事は「船橋市本町通りきらきら夢広場ブログ」と連動しています)
こんばんは! 門脇です。
どうも投稿するのがこの時間(今夜中の1時過ぎ)になってしまうのですが、それというのも、私の仕事のせいなんです。
アーティスト、アーティストといいますが、実際、私が生活の糧を得ているのはアートでもなんでもありません。むしろ、アートに関していえば赤字に近いんじゃないか、それも最近やっとプラマイゼロ程度に落ち着きつつありますが、去年あたりまではひたすら出血大サービスというか、まさに血を流しながらやってる感がありましたね。
というわけで、私が何をやって食べているかという話ですが、仙台の片平というところで学習塾を開いています。ここです。
学習塾とはいえ、この私がやってる塾ですから、まぁだいたいどんな感じかはお分かりかと思いますが、ずばり「癒し系の塾」と呼ばれています。勉強じゃないこと教えてくれとか、そういう話がやってきたりして、世の中うまくできてるなぁと思うのですが、時々間違ってホンキで勉強教えてほしいという人もやってきて、がんばって教えるのですが、やはり人間、得意不得意がありますから、できる子は教えなくてもでき、できない子は教えてもできないところがあって、別に私はそれも個性だと思うのですが、世の中そんなにうまくできてないというか、時々、試験などあると私も無理にでも教え込まないといけない状況に追い込まれたりします。
すると、子どもは決まってこんなことを言います。「先生、なんで勉強なんてあるの?」「なぜ勉強しなきゃいけないの?」
悲痛な叫びですねー。もちろん適当なことを言ってごまかしますが、ふと、私は「なんで自分はアートをやってるんだろう」などとはホンキで思ったことがないなぁと気づきました。
そうなんです。こたえは簡単で、楽しいと思ってやっていることには理由など必要なく、おもしろくないものには「なんでやらなきゃいけないんだ」と理由が必要になってくるのです。
しかし逆にこの理由というのが不思議なもので、ちゃんと理由を言えてたりして納得してもらったりすると、納得した人も楽しくなってきたりするわけです。
こんなことがありました。宮城県の東鳴子というところでのことですが、古くからの湯治場で、しかし今どき湯治に来る人もいなくなってしまい、旅館や商店の若旦那たちが、何かやって町を盛り上げようとがんばったわけです。で、うまく軌道に乗り始めたのですが、どうも疲れる。よく考えてみると、よそさまのことばかり考えて、自分たちが楽しむということをすっかり忘れていた。これではがんばっても疲れるばかりだ。で、楽しむことにしたわけですが、やはり町のみんなで、というときに町内会をはずすわけにはいきません。町内会のみなさんにもなんとか出てきてもらって楽しむアートを何か考えられないか、ということで私の出番となりました。
私は温泉街にみんなでいろんな色の毛糸をかけようと提案しました。また、近くを流れる川には毛糸の橋をかけましょう、と。
説明を聞きに来た町内会長さんらは、最初、「正直、アタマのおかしい人なんじゃないか」と思ったそうです。が、たまたまNHKがようすを取材したいと来ていたので、カメラの前では遠慮していたようで、現場を見たり、プラン見せたりし、「このいろとりどりの毛糸は、日本に10種類、鳴子には実にその9種類が集まっているという、泉質の豊かさを表現しているのです」と語ると、とたんに、よくわかった、実はあんたは頭のおかしな人かと思っていたが、そんな意味がこめられた毛糸なら、十分にやる理由になる、ぜひやろう、ということになり、町内会のみなさん40名ほどが出てくださり、温泉街や川に毛糸を結ぶことができました。
そして、そうしていっしょにアート制作をやり始めると、もうそれからは「なぜこんなことをやるのか?」といった質問はいっさいでてこなくなるわけです。自分たちのもの、俺の私のアート作品になった、ということだと思います。
ということで、今日はアートをやる理由について考えてみましたが(ぜんぜん考えてませんが)、明日は私が具体的にどんなアートをやっているのか、今年のきらゆめでは何をやらかすのかについてご説明していきたいと思います。
(コメント:門脇篤)