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今日は秋晴れ。
渋谷の代々木公園では、北海道フェアがこの連休に行われているようです。
北海道の自然の美しさ、知床世界遺産記念展示の他、北海道観光PRコーナーや北海道直産フェアがあるそうです。
東京の銀座や渋谷、新宿などでは、よく全国の自治体の観光PRや産直フェアのイベントが行われます。宮崎県の東国原英夫(そのまんま東)知事などは、自ら県のPR大使となっており、かなりの割合で東京出張されているようです。地方に財源移譲された代わりに、地方の活性化は自治体自らの責任で自己PRしなければいけない時代になっているようです。東国原知事のPR財政効果は、数百億円であるとの試算もあると言われています。
さて、東京の西南部に位置する世田谷区は、全国的にはどのようなイメージで捉えられているのでしょう。東京の一部、中央に通勤するためには便利な山の手住宅地などでしょうか。
世田谷は、江戸ではありません。
明治22年の地図を見ると世田谷村、駒沢村、松沢村、千歳村、砧村、玉川村の近代6ヶ村がベースになっています。先日の区報(写真)に昭和7年(1932)に現在の世田谷区が誕生し75周年を迎えたことが取り上げられていました。区の職員も、写真映像再生による広報活動の重要性を認識され始めたのかもしれません。
明治後半からの世田谷東部への軍施設(練兵場)の移転や玉電の開通、関東大震災(1923)前後しての京王線・小田急線・井の頭線などの鉄道開発によって、下町の人々が移住し住宅地としての人口が増えていったようです。しかし、それは旧街道沿いや鉄道駅周辺の住宅開発地だけで、多くは近郊農業の田畑でした。
人口825,305人(2007.10.01現在)の1割を超えたのはいつの頃だったのか?
世田谷の映像保存再生の会(SEPARA)は、古郷せたがやヴィジョン研究会とともに、古郷せたがや探訪を目的の一つとしています。映像での昭和史探訪はどこまで可能なのか。昭和の終わり頃「世田谷を記録する会」がありました。今の時代にせたがやで記録するものは何であるべきなのか。
SEPARAは、現在のせたがやの案内と記録の試みも行っています。
10/20,21の三軒茶屋キャロットタワーで、市民活動団体の「パオフェスタ」が開催されます。SEPARAも出展予定です。お気軽にお声をお掛け下さい。
SEPARAは世田谷周辺からスタートしました。
「映像保存再生への道」にご意見、感想などお寄せ下さい。
(資金難からsepara.orgのHP制作の工事延期にあたって)