最初に断っておかねばなりませんが、タイトルを見て「専門性」と「人間性」ではどっちが大切なのかということを言おうとしているのではありません。

もちろん、専門性も、人間性もともに必要なのであってそれらを比べること自体ナンセンスだと思っています。

ただ専門性と人間性がバランスよくそなわっている人というのは極めて少ない、と感じています。

話は前後しますが、わたしたちは(私自身も)およそ「専門性」というには遠い世界でやってまいりました。

どちらかというと「経験則」を重視したスタイルであったかと思います。

『まず関わる。健常者も障害者も同じ人間なのだから』

『障害者は特別な存在ではない』

確かにこれは現在でも基本的なスタンスとして採用しています。

学生ボランティアたちが障害をもったこどもたちと関わるとき、「障害」についての説明はしません。

出会ったその子がどんなこどもなのか自分の肌で感じてほしいと思っています。

ただそのことがちょっと勘違いされてはいるのかなと思うこともあります。

もちろん「とにかくさぁ行け!」という感じで無理くりボランティアとこどもをあわせているわけではありません。

初対面でできるだけイヤな思いはお互いしたくないでしょうし、ちょっとわかっていれば解決できることもたくさんあるので「この子といっしょにいるときに注意することは・・・」と伝えてはいます。

ただその子のすべてをあらかじめ伝えるというのは到底無理があります。

ボクが知らないその子の一面だってあります。

人と人がつきあう上で楽しいのは、お互いにその人のよいところ、わるいところを見つけあうことにあるんじゃないかと思っています。

だからあまり詳細なプロフィールをもってつきあうのはどうだろうかなということなのです。

その点、うちの学生たちには上手に子どもの良いところを見つけてくれるメンバーがいます。

そんな子たちに活動後の感想を聞くのはこちらとしてもとてもやりがいを感じさせてくれます。

学生たちは障害児の生活保障のために動いているのではなく、自分がこどもたちと遊びたいから来ています。

ボクはそれでいいと思っています。

彼らの姿を見てうらやましく思うこともあります。

活動の中には衝突も行き違いもあります。

でも続けてくる子たちはお互いにそれを乗り越えています。

お世辞にも「福祉のプロ」にはほど遠いですが、障害をもったこども達にとっては大切なおにいちゃん、おねえちゃんであるのだろと思います。

もちろん「すべてよし、なんでもあり」ではいけませんが、うちほど小さな事業所が行なうイベントにこれだけたくさんのボランティアが来てくれるというのは何ともうれしいミスマッチにはちがいありません。

この社会の中で福祉に携わる人はほんのわずか、ほとんどが障害や障害をもった人に対して無関心です。

それ故起こる問題は数限りなく、だからこそ彼らのような存在が大事なのだと思います。

ボクが20年前、はじめて寝たきりの在宅障害者のお宅へ訪問したとき、その人は最初の自己紹介の後こう言われました。

『差別がいけないとか、人権を考えようという人がボクとところに介護に来るのは当たり前や。でも君のような体育会系のクラブにいるようなのが来てくれるのがホントにうれしい』と。

言い過ぎであろうとは思いますが、それでも言葉は今でもその人とボクを結ぶものとしてあります。

あわづ