松江に来ています・・・

昨日から、島根県の松江市に来ています。
パロマ事故ご遺族の山根健二さんのご長男、敦さんの
十三回忌追悼ライブで、JR事故被害者の笹岡恵奈さんが
MCをすることになり、その付添いで来ました。
(添付の新聞記事がご参考になれば…)

恵奈さんは、まだ若いですが、この若さで
辛いことをたくさん経験しています。
今回の事故後もPTSDで眠れぬ日々が長く続きました。
夜中に何度か電話をもらったことがあります。
「自分が生きていていいのだろうか、私のせいで、誰かが
亡くなってしまったんじゃないか・・・。」泣きながら話していました。

でも、そんな中で彼女を支えてきたのは「音楽」でした。
今度は自分が音楽を介して誰かを支えていきたいと、
最近は、ライブの企画やMCをしています。
本当によくここまで頑張ってきたと思います。

また、彼女も、殆どの事故被害者と同様、
未だ電車に乗ることが困難です。
車は大丈夫なので、ブログライターが運転してきました。
ブログライターの次女も事故に遭っていますが、
年齢があまり変わらないので、「娘」のように思えます。
※写真は、会場へと向かう恵奈さん。

ライブ会場となった松江市の「may be」入口に置かれた
このお花には意味があります。
このお花は、株式会社パロマの社長とパロマ工業の社長の
連名で送られたものです。連名に意味があるのだと
山根敦さんのお父さまの健二さんは、おっしゃいます。

山根健二さんは、パロマ事故の持つ本質と、
JR福知山線列車事故の本質は、極めて酷似していると
おっしゃいます。本当にその通りだと思います。
「公」的な責任性を担っている企業は、より重く、人の「命」への
責務を担っているといえます。
その企業の公共性が高くなればなるほど、経営方針は、
「人命」最優先でなければならないでしょう。

追悼のライブは素晴らしいものでした。
松江に来て初めて、敦さんのお母さま、聡子さんにも
お目にかかりました。
お母さまの語られた言葉には、母親としての無念さが
滲み溢れていました。
どんなにか辛く悔しい思いをされたことでしょう。

しかも敦さんの亡くなられた本当の原因が、10年以上も経って、
初めて分かったということ・・・。この年月の重さは
想像を絶します。
ライブでは、一気に駆け抜かれた敦さんの人生の記録が
映像で数多く流されました。一つひとつお父さまが編集されたようです。
これらを見ることができるようになるまで、どれほどの涙を流されただろうと、
胸がしめつけられました。

敦さんの二人の弟さんたちも、長兄を突然奪われたことで、
ご両親とはまた違った重いものを、背負われました。
しかし、学さんのサックス演奏・ヴォーカル、亮さんのコメントには
前を向いた「強さ」を感じました。

こういう「つながり」は非常に重いですが、「本物」です。
きっかけは悲しく、辛いのですが、でも、「命のつながり」や、
「魂の再生:reborn」の中に「光」を見ることがあります。
忙しさの中で、時として何か大事なことを忘れそうになる時、
前を向いて歩んでいく勇気を思い出させていただきました。
社会の真の安心・平和を祈りながら、「つながり」が広がっていくこと、
「伝える」「つなぐ」「支える」活動をし続けます。
恵奈ちゃん、大変な重責をしっかりこなせたね。本当にお疲れさまでした。