昨日、11月13日、クリエイティブカフェ仙台(主催:仙台市)に行ってきました。
会場は仙台市が誇る「せんだいメディアテーク」。一階のオープンスクエアを使って、「アートフェスティバルって何? アートは街に何をもたらしたか」というテーマで、「はっぴぃはっぱプロジェクト」の吉川由美さんをコーディネーターに、アサヒビール芸術文化財団の加藤種男さん、「A to Z」など奈良美智さんの弘前での展示などで知られる青森県立美術館の立木祥一郎さん、そしてわれらが東鳴子ゆめ会議理事長の大沼伸治さんを招いてのトークセッションです。
「クリエイティブカフェ」というタイトル通り、ここせんだいメディアテーク1Fに入っているクレプスキュールカフェがお茶とお菓子を出します。
私はコーヒーにシフォンケーキ。
これしかのこっていなかったので。
大沼さんによる3年間にわたる「GOTEN GOTEN アート湯治祭」についての取り組みについての説明につづいては、加藤さんが足早に「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)」を紹介。特にアートを自分たちのものとして使いこなしている「とがびアート・プロジェクト」の中学生たちを例に引き、「アート・リテラシー」を推進しているAAFにあって、たいへん成功している事例だと絶賛していました。
つづいて立木さんによる奈良美智さんの数回にわたる展覧会の説明がえんえんとつづいたのですが、何といってもその中で「目」を引いたのは、総事業費2億5000万円、入場者数8万人、ボランティアスタッフ1万6000人、経済効果180億円…というプロジェクターでスクリーン上に映し出された数字。
本当にスゴイですね〜としか言いようもなく、加藤さんご自慢の毒舌も「あのわけのわかんない毛糸」とか言いながらも不発気味。大沼さんも間違ったとこ来ちゃったかなといったご様子です。
私にまで突然、マイクが振られてきたので、あやうく「うち(「GOTEN GOTEN アート湯治祭」)は今年、70万円の予算で「アートin湯治(AIT)」をやって、来たのはおそらく町の人を入れて200人くらい…」と口をすべらしてしまうところでした。
が、考えてみると、「アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)」は、入場者数とか事業費とかの規模でものを図らないようにしようという「合言葉」(?)のもと、そこで小さくてもいいから、どんなステキなことがあったかを積み上げていくという評価システムを構築しようとしているネットワークでもあり、つい先だっての「AAF報告会」でも、私が入ったディスカッショングループでは「AAFで何が起こったか」と題して話し合ったばかり。そこでは一言も数字の話は出ず、みんな地味〜な話をえんえんとして、「これじゃまとめようもないね」「まとめらんないからいいんだよね」とまとまったものでした。
確かにAAFは加藤さんの言葉を借りると「わけのわからない企画だらけ」なわけで、動員もできないし、企画者どうしの話題は「予算がないね」ばかりだし、逆にもしかしたら奇跡的にお客さんを動員できたりしたら、それこそこれみよがしにプロジェクターででかでかと「成果です」と映し出しちゃったりするのかもしれません。
ただ、予算もないし、人も来ないし、アートをやったからといって、全然経済効果もあがらないのだけれど、それでもまちでアートをやる意味というのは、小さな感動、リアルなコミュニケーション、それらを結ぶネットワークにあるのではないかと思います。
千両食堂さんがはじめて岩出山の「感覚ミュージアム」に行って、「すげぇ」と驚き、坦々麺を食べに来た私に、「いいこと考えました! カドワキさん、来年はうちの店にハエとり紙でアートつくってくださいよ!」と言う(しかもそれを他の町の人に話そうとすると、ものすごく恥ずかしそう)。それは千両さんを知っている人にしかわからないささいな話ですが、いつもだるそうにしているのに、アートであんなに興奮している千両さんを見て、私は本当にうれしい気持ちになります。
「アートが無い無いって、来たお客さんにかわいそうですから」と、撤去やら現状復帰やらでほとんどの展示作品が展示不能に陥った9月の「りくとうアートライン」に際し、見ちゃいられないと数年前から使わなくなっていた旅館の別館を貸すと言い出した勘七湯さんや、「うちの壁に掛けたいんだけど、なんでもいいから描いてくんないかな〜。金は出せないけど」というので絵を描いて渡すと、本当に喜んで毎回タダでうまいパンを持ちきれないくらいくれるパン屋の堀江さんや、ちょっとでも「批判的」なことを言ったり書いたりすると作家本人なんかよりも激しく怒りだし、時には作家本人にかわって泣いてしまったりもする「越後フリーク」こと氏家さんや、そのほか、数え切れない小さな話が、東鳴子では起こっています。
それが感動的なのは、彼らが全然アート好きでも何でもないのに、アートを自分たちなりに受け入れて、「アート・リテラシー」とでもいうものを、自分たちなりに、それこそ自然発生的・なし崩し的に構築しはじめているところです。東鳴子ゆめ会議は、アートが好きな人が集まったボランティアなどではないのです。そこに、私は「本当の」コミュニケーションやネットワークが生まれる可能性を見てしまうのです。
アート好きが何人集まってアート展をやっても、それはアート好きな人という空間の中で行われたことにすぎません。いわば「独り言」のようなものです。
アートに関心も何もない人がアーティストと折り合いをつけながら、アートを受け入れ、自分たちの生活に取り込んでいく姿こそが、私は本当の意味でのコミュニケーションなんだろうと思いますし、何をさておき、そこに感動するんです。というより、今ではもうそこにしか感動できない体質になってしまいました。
「数字」対「小話」——「アートは街に何をもたらしたか」について、そんな仕掛けをしたコーディネーターの吉川さんも本当にすごい人だなと改めて思った夜でした。
(コメント:門脇篤)