日本初のアートプロジェクト・プロデューサー「山本鼎」〜長野県東御市梅野記念絵画館

青空の中、高速を走り、東御市梅野記念絵画館に行った。目的は、とがびプロジェクトに協力をしていただいたことの御礼と、館長さんにお借りした画集をお返しするためであった。
 とがびアートプロジェクト2007では、梅野館長さんから、所蔵の青木繁や梅原龍三郎など珠玉の作品を多数貸していただくとともに、キッズ学芸員が、作品解説を意欲的に行うことが出来るよう、ご指導いただいた。梅野館長さんの、美術を愛する情熱には、本当に圧倒されっぱなしである。

 さて、絵画館に到着し、館内へ入ると、「私達の山本鼎展」が行われていた。行われていることは全く知らなかったので、これはいいチャンスだと思い、じっくり鑑賞してみた。

展示室に入ると、素晴らしい鼎自身の油絵が何枚も飾られていた。素晴らしい作品ばかりであった。特に人物表現ではぬきんでていると思った。
 そして、山本鼎の「自由画教育運動」のブースへ。鼎は、大正時代、1919年に上田市神川小学校を会場に、「第一回自由画展」を行った。それまで臨画をそっくり書き写すことが中心であった図工教育に反旗を翻した。後にこの「児童自由画教育運動」は賛否両論巻き起こしながらも全国に広がり、現在の図工美術教育の礎となっている。
 鼎自身の自由画養育の考え方には、賛成できるところもあるし、正直納得できない部分もある。しかし、彼の言葉「自分が直接感じたものが尊い。そこから種々の仕事が生まれてくるものでなければならない」は、自分で感じて判断し、興味を持ったことから自分なりの表現や行き方が始まるという意味であるとすると、私が今行っているNスパイラルと共通しているし、学校教育の中での図工美術科の存在意義にも通じていると思う。

山本鼎は、学校美術教育のパイオニアというだけでなく、一般の農民に対して農民美術運動のパイオニアでもある。別の言い方をすると、生活に根ざした生涯学習の充実を目指していた人物とも言えるし、日本初の「アートプロジェクト・プロデューサー」だったと思う。誰もアートプロジェクトなど考えもしなかった時代に、美術で社会に影響とインパクトを与えた功績は素晴らしいと思うし、これからも輝きを失うことはないだろう。
 実は、私がとがびアートプロジェクトを実践しようと思った理由の一つは、山本鼎の「自由画展」の存在が大きい。以前、この自由画展に関する大正時代の新聞記事を読んだことがある。そこには、「ある新聞記者が上田のあぜ道を歩いていると、地元のお年寄りと小学生などが、ぞろぞろと列を成して一方向へ歩いていくのを見た。お祭りでもあるのかと、尋ねてみると、みんな子どもの絵を見に行くと言っている。その行き先が自由画展であった。」
 とがびやNプロジェクトでねらっている姿は、まさにこの姿である。

東御市梅野記念絵画館
http://www.umenokinen.com/