当時、私は京都で一人暮らししていました。
今でも、はっきりと思い出すあの恐怖感。

地震が起こる1分くらい前に、ふと目が覚めた….
隣の家が家事になっても目が覚めない私なのに。
何故かぱっちり目が覚めて、天井を見つめていた。
とたんに、いきなり横揺れが始まった。
ぼろっち〜い、京都の古いアパートに住んでいた私の部屋、
天井の角度が明らかに折れる直前まで曲がっているのが分かった。
ひえ〜〜〜〜、とにかく天井が落ちてきても
屋根はそんな重くないから大丈夫だろうか、私の部屋の下はガレージだから
私が下に落ちていっても、誰にも迷惑は掛からないだろう…..
など、瞬時に色々なことを考えた。
天井がミリミリ音を立てている。「柳のように揺れる家は強いらしい」と
誰か言っていたのを思い出し、それが本当であることを祈った。
(こんな言葉が本当にあるのか知りませんが、意外にも本当でした)

テレビが落ち、棚から本や雑貨がバラバラと全て落ちていくのを
布団をかぶりながら隙間から覗き見、何が起こっているのか必死で考えた。
この世が終わってしまうのか?自分以外の人はいったい何をしているのか?
何も分からない数分間を過ごし、地震が収まった時に誰かに会いたくて
外に出てみた。すると近所の同じような一人暮らしの人たちが外に出て
怖さをシェアして、それぞれの部屋に戻った。
どこで何が起こっているのか分からないまま、朝を迎えテレビから流れている
ニュースを見て愕然とした。
川西の実家はどうなっているのか?両親は生きているのか?
宝塚に住んでいる姉の家族は?神戸に住んでいる友達の家は?
頭がパニックになった。
何度電話してもつながらない。結局夕方にようやく母に電話がつながり、
家はぐちゃぐちゃになったものの、皆無事だったことを知ることができた。

私は当時、写真の現像の仕事をしていて、職場が京大の近所
だったため、京大の教授や学生が研究の為に撮られた震災現場の
写真を次々と持ってきた。
その中に宝塚の写真が大量にあった。知っている場所が変貌している姿に
ショックを受けたことを今でもハッキリ思い出す。
13年たった今、きれいに整備され何事もなかったかのように過ごす毎日。

こうやって平和に暮らせる今を感謝しつつ…..