まもなく卒業の猫五郎です。
国家試験に合格していたら就職予定の医療機関が、学生向けに発行している機関誌「トトロのふるさと」に、医学生生活を振り返ってなにか書いてほしいと依頼を受け、書いた原稿が掲載されました(というか、去年9月号に掲載されていました)。
私事といえば私事なのですが、原稿の依頼主が医療機関なもので、ボランティア関係のことを書きました。
ので、ここにも掲載しちゃいます。
==========以下、僕が書いた記事です===========
僕は以前、研究者を目指していました。
が、夢破れ、方向転換しました。
今回目指す医師は、対人サービス業です。
だからこの大学生活では一人でも多くの人と触れ合いたいなと思ってスタートを切りました。
ボランティア・サークルでヘルパー派遣会社のバイトを知り、そこで障碍者の介助のアルバイトを始めました。
その派遣会社は筋ジストロフィーの方が設立者で、自分たちの要望に応えられる人材を自ら育てて障碍者のもとへ派遣するという会社でした。
被介助者たちは、重度の障害を持つ方たちがほとんどで、施設ではなく地域で自立して生きていこうという人たちです。
最初は、
「こんな重度の障害で、トイレも食事も自分でできない人たちが地域の中でやっていけるのだろうか?」
と思っていましたが、彼らは社会から与えられたお金とサービスをもとに、自己責任で地域生活を見事に送っていました。
彼らの介助に入ることで、当たり前の日常の一つ一つの行為を見直すこととなりました。
玄関から家に入るにも工夫が必要ですし、トイレに入るにも、食事をするにも、買い物に出かけるにも健常者のようにはいかない。
各人、自分に合わせた創意工夫を生活の隅々に織り込んでいました。
そういう人たちの手足となることで「自立」や「生活の質」についてとても考えさせられました。
ボランティアでは国立沖縄病院の筋ジス病棟の若者たちとサークルで月一交流会を続けたり、知的障碍者の作業所で手作り健康講座を月一でやったり、筋ジスの方のパソコン家庭教師をしてみたりといろいろ手を広げました。
これらの交流を通して、健常者が当たり前としている今の社会が、障害を持つことでどれほど違ったものになるかを実感しました。
そして障害があってもこの社会で「如何に自分らしく生きるか」ということについて考えさせられました。
今は、誰もがいずれ迎える「死」に興味を持ち、毎週ホスピスにボランティアとして通っています。
そろそろ丸2年になります。
死の現場に身を置くことで、死を前提に自分の生き方を考えるようになってきています。
とても充実した学生生活でしたが、学業だけはおいてきぼりを喰らわせてしまい、今、必死で周りに追いつこうとがんばっています。
残り一年弱、国試勉強を軸に、ボランティアや沖縄の自然を思い残すことなく楽しもうと思っています。