よしこちゃん、8分の1のルーツの旅

今日・25日は早起きして、妹の暮らす東京・練馬から

電車に乗り、千葉駅まで行き、

そこから右の写真のなつかしい国鉄時代の

電車に乗って、田舎風景が残る

房総半島の外房線をどんどん

南下して行きましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)

千葉駅から30分ほどのところに、

茂原(もばら)市という町があります。

大きなビルとかがない、空が大きな町です。

どうしてここに妹と行ったかといいますと、

私たちの「ひいおばあちゃん」(母の父の母)が

生まれ育った町なんです。

ひょんなことで、私たちのひいおばあちゃんの

ルーツが分かり、二人で行ってみることにしたんです。

私たちは、ひいおばあちゃんの戸籍謄本の

コピーを持っていました。

そこに書かれた住所は、「千葉県長生郡茂原町△△町○番地・・・」と

書いていたので、今は「千葉県茂原市△△町○番地・・・」と

郡&市のところだけ変わったと想定し、その住所の

ところに行ってみました。

春の陽気に誘われ、桜も咲きそうで、

とってもルンルン気分で、旧街道(江戸街道)を

歩いていました。きっとひいおばあちゃんも

かつてこの道を歩いていたんでしょうね。

私の人生において全然関連性のない町かと

思いきや、実は、私のルーツの8分の1が

この町で生まれていたなんて、

何だか不思議で、ドラマチックですね。

何人かの地元の方に、ひいおばあさんの

旧姓を伝えますと、その旧姓を名乗る方が

その地元にたくさんおられることが発覚。

「昔からありそうなお寺だったら、

家系図とかあるやろー」って思い、

お寺向かって歩いていて、そのお寺の隣も

その名字の御宅で、そこのおじさんに

ひいおばあちゃんの本籍地の住所の場所を

ちゃんと教えて頂きますと、ナント!

今でも、全く同じ所に、その名字の方が

住んでいることが発覚し、その御宅に行ったのですが、

あいにく留守・・・(%ショック女%)(%涙%)

ま、ある意味、知らない人だから、ほっとしたりもしました(笑)。

そして今度は、私たちの母を、この茂原に連れて来て

あげようと思いました(%ニコ女%)(%音符2%)

(母にとっては4分の1のルーツがこの茂原にあるってことですからね)

戸籍謄本によりますとそのひいおばあちゃんは、

明治25年に茂原で生まれ、結婚後、ひいおじいちゃんと

東京で暮らし、そこで9人の子どもを

産んでから(今でも1人だけ生きておられますが、

私たちの祖父を含め、7人は戦後までに亡くなっています)

大阪市内に移住され、最後は東大阪(旧枚岡市)で

昭和38年に59歳で亡くなったそうです。

旦那であるひいおじいちゃんは、明治14年に生まれ、

昭和10年に亡くなっているから、ひいおばあちゃん、

想像以上のご苦労をされたと思います。

歴史上名も残っていない人、一人ひとりに

そのような「ドラマ(歴史)」があるんですね・・・。

なんでそんなあっちこっち移動したか?など

ひいおばあちゃんにたくさん聞いてみたいですが、

ま、それは無理ですので、あれこれ空想しながら

「私が今、ここで生きているのも、たくさんの奇跡の

たまものやねんなー」なーんて、感動しながら、

電車に揺られていマシタ〜(%ニコ女%)(%王冠%)