「こころ」はどこで壊れるか—精神医療の虚像と実像 その2

滝川一廣著 佐藤幹夫編 洋泉社刊より

言葉は生き物ですから同じ言葉でも
時と場合、相手との関係のあり方、文脈によって
正負様々なニュアンスを帯びるもので
あらかじめその意図で造語された言葉でもない限り
ある言葉が一義的に差別的表現であるということはありません

またどんな言葉でも使いようによっていくらでも
おとしめや差別の表現となります
そうした言葉というものの性格をわきまえ
シチュエーションによって言葉を選び、言葉に心配りすることこそが
人間のデリカシーというものでしょう
「差別語狩り」的な言葉の抹殺はそのデリカシーの放棄
言語感覚の乏しさ、むしろ表現対象への無神経さを感じさせます

<沈丁花がいい香りですね>