どうにかしなければ、と思う前に自分が目の前のことを
どのように感じているのかじっくりと味わい、実感すること。
簡単なようで、難しい。このちょっと立ち止まって、
自分の気持ちを実感することの大切さを伝えています。
「受けとめるということ」 渡辺 康麿
〜何故、自己発見法(セルフ・カウンセリング)をすることが
受容することになっているといえるのか?〜
<ちょうどにということ>
受容というのは、「ちょうどに受けとめること」なのです。
けれども、ちょうどに受けとめることはなかなか難しいことです。
そして、ちょうどに受けとめるとはどういうことか、
とっても微妙で分かりにくいし、それを伝えることも難しいことだと思います。
そこで、例をあげてお話ししてみましょう。
例えば、お皿を運んでいて、つまずいてお皿を落として割ってしまったとしましょう。
その時、皆さんはどんなふうに思いますか?
ある人は、<こんなに忙しい時に、あの人がお皿を運べなんていうから、
慌ててしまうのよ!>と人のせいにするかもしれませんね。
これを他責型、あるいは他罰型といいます。
また、ある人は、<なんて、私って不器用で不注意なのかしら。本当に嫌になる>
と自分を責めるかもしれませんね。これを自責型、あるいは自罰型といいます。
また、ある人はお天気のせいにするかもしれません。
<ああ、この頃、陽気が悪いから、仕方ないわ>などと思って、
納得する人がいるかもしれません。これを無罰型といいます。
でもこの時、どの型であれ、大切なものが見失われているのです。
<苦い感情を受けとめること>
では、一体、見失われている大切なものとは何でしょうか?
それは、<落とした。割ってしまった。ああー>という
「苦い感情を受けとめること」を見失っているのです。
私達は、通常は苦い感情や嫌な感情、つまり(−)の感情に出会うと、
それを受けとめずに、さまざまな転換操作をして、そこから逃げてしまいます。
ふつう私たちは、困ったこと、つらいこと、苦しいこと、などに出会うと、
すぐに、どうしたらいいか?と方法を捜すことに逃れてしまうのです。
急いで、何とかしなくちゃ、という方向に意識が向かってしまい、
その苦い出来事を、じっくりと受けとめ味わい切るということをしていません。
あるお母さんは、1を聞いて10を知るくらい頭がいい方でした。
お子さんがちょっと「友達とうまく行かなくて困った」というような話をしますと、
お母さんは待ってましたとばかり、「ああしたら、こうしたら」とアドバイスします。
とても適切なアドバイスを次々にするわけです。
これが、お子さんにとって大切なものを見失わせることになります。
お母さんが、お子さんに、「困ったなあ」という感情を味わうヒマを与えないからなのです。
お子さんが、困ったという感情を受けとめ、
その奥にある自分の問題に直面することができなくなるからです。
自分の問題に直面すると、自分と友達の欲求の食い違いを見いだせ、
自分の内側から自然に解決の仕方が与えられるのです。
けれども、頭で一応説明づけたり、理屈づけたりしてしまうと、
問題は本当の意味では解決しません。
心のやりくりをしてしまう分だけ、解決が逆に遅れていくのです。
<人のせいにすること>
ところが、私たちは、辛い状況になると、つい誰かのせいにしてしまいます。
普通は自分が依存している人のせいにしがちです。
理性では本当は、その人の責任ではないと分かっていても、何か不都合があると、
その人のせいにするという時は、その人に甘えているということになります。
人のせいにすることで、自分のいやな感情から無自覚的に逃れようとする
心の操作をしているのです。
私たちは、人に甘え、頼っていると、創造的な知恵が発揮できません。
それで、甘えは創造性の最大の敵だといえるのではないでしょうか。
といっても、甘えるべきではない、というモノサシ(価値観)に縛られると、
自分を縛りつけ、本当の問題解決から一層遠ざかってしまいます。
甘えていけないのではなく、甘えているということに気づき、
そのことを自覚できていれば良いのです。
<決心すること>
「今度こそやろう」とか「今度こそやるまい」とか、決心する方がおられます。
が、そう決心すればするほど、自分の方に意識がいってしまいますので、
結果的に状況や事柄に対して不注意になってしまうことがあります。
お皿の例であれば、<もう絶対に、お皿を割るまい>と思う自分の方に
意識がいき、お皿そのものに対しては不注意になってしまう訳です。
この場合、<もう割るまい>と決心する事で、
現実に割ってしまった事から起こる苦い感情から、逃げてしまっているのですね。
ですから、<ああ、割ってしまったなあ>と受けとめ切る事が大切なのです。
<受けとめねばと思っている事と、受けとめている事の違い>
受けとめねばと思っている事と、うけとめている事とは違います。
受けとめねばと思っている時は、受けとめられないという感情を無視して、
あるいは、受けとめたくないという感情を抑えて、ということです。
受けとめるということは、受けとめられないなあとか、
受けとめたくないなあという感情もそのまま、受けとめるのです。
本当にそのまま受けとめる、「そのまま」ということなのです。
ただ、「そのまま受けとめましょう」と言っても、とても難しいですね。
そこで、セルフ・カウンセリングでは、繰り返し、自分のしたこと、
言ったこと、思ったこと、そして、相手のしたこと、言ったことを書きます。
その上、気づきを書いたり、洞察したり、研究をするために、
何度も読み返します。方法に従って、書いたり読んだりする事が大切なのです。
そうする事が、結果的に自分の思いをそのまま受けとめることになっているのです。
<諦めるということと、受けとめるということ>
よく私たちは、「しかたがないから、諦める」とか言います。
が、「諦める=諦観」というのは、もともと仏教の言葉で、
「明らかに見極める」という事です。「悟る」ことと同じで、
積極的に、しっかりと受けとめるという事なのです。
セルフ・カウンセリングの方法は、どんなに厳しい現実でも、
受けとめていく心を育てるためにあるのです。受け取る一手なのです。
受けとめるより他にない、というように見極める心構えを作るために、
セルフ・カウンセリングの方法は作られています。
何度も記述を書き、記述を読んでは感情や欲求を見つめ、
そのことが、結果的に、より深く自分を理解し、受けとめていくことになります。
そして、変わらないものは変わらないものとして「あきらめ」、つまり、
明らかに見極め、変わるものに対しては、コツコツとやっていくように、
見極められるのです。
無条件的な受容とは、リアルに、そのまま受けとめる態度です。(%王冠%)
☆こちらのセルフ・カウンセリング学会公式HPで詳しいご案内をしています(^^)/
↓
http://www.self-c.net