2008年5月9日。現在午後17時過ぎ。
無事、高知県四万十市(旧・中村市)に到着
いたしましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)
・・・ってことで?この日記②の続きを(笑)。
写真は、22番平等寺のトイレにあったものです→
お寺にあるものを盗む人がいるんですね。
いい言葉が書いてありますので、欲しい気持ちは
理解出来るのですが・・・。
四国お遍路でも日常生活でもそうですが、
どこ行っても、どんな立場の人でも
いい人、わるい人が、おりますよね(^^)。
(私は基本的に性善説派の人間ですが・笑)
お遍路さんやお坊さんやから、謙虚でいい人ばかりでもないし、
お遍路さんなんて一生縁のない方でも
謙虚で誠実で素敵な方もおられます。
また同じ人でもTPOによって善になったり悪になったり
することもあろうかと思います。
このような場所に来ますと日常生活よりももっと
感度が高くなって、善悪の見分けの感覚が研ぎ澄まされます。
そんな意味でも四国お遍路旅は、
実生活に活かせる『修行の時間』でもあります♪
その日・7日も無事に23番・薬王寺(写真)
まで行って、そこのお寺の宿坊に泊まりました。
夕食時、兵庫県・西宮からお越しの
天台宗のお坊さんのおじさまとご一緒しました。
やはり関西の人だけあって、
分りやすく、そして面白おかしくして、
いろんな為になるお話をして下さりました(*^^*)。
一番印象に残ったお話は、
『巡礼』と『遍路』という言葉の違い。
『巡礼』は、『メッカ巡礼』という言葉のように、
今いる地点からメッカに向かって歩いて到着したら
それで終わり・・・『片道の修行』なんだそうです。
一方、『遍路』というのは、四国お遍路のように、
1から88まで回って、それで終わりではなく、
また1に戻って、ぐるぐる回るものなんだそうで、
『終わりがない修行』なんだそうです。
一見、「同じところをグルグル回るなんて、
何も得られないのでは?2回目以降、意味ないのでは?」と
思いがちなのですが、1回目よりも2回目、
2回目よりも3回目の方が、よりいろんなものが「見えて」
来るんだそうです。
このようなグルグル回る『遍路』は日本独特の
文化なんだそうです。
一方、お遍路さんは、いろんな格好や方法で
多くの方が回っておられます。
車で、電車で、自転車で、タクシー、バスで、歩いて、・・・回る人、
一人で、ご夫婦で、親子で、団体さんで、・・・回る人、
お経を唱える・唱えない人、蝋燭&線香をたむける人、たむけない人、
普段着で回る人、全身白い服で回る人・・・。
そして、四国お遍路の動機もみなさんそれぞれです。
『みんなちがって、みんないい』という相田みつをさんの
お言葉のように、自分自身に合った回り方を選べるのが、
この一番の四国お遍路のいいところだと思いますし、
きっと本来の仏教(宗教)も、そのように許容性が
大いにあるものなんだって思います。
あ。それからその西宮のお坊さん、
「お遍路とはお寺に行って、「スタンプラリー」することよりも、
(=『ご朱印帳』等にサイン&ハンコを押して頂きます)
お寺とお寺の間のプロセスに本当の意味や意義がある」と
おっしゃっておりました。
他のお遍路さんをじっくり観察しておりますと、
(私は、お遍路中でも、ひたすら人間観察しております・笑)
目に見える(後に残る)「スタンプラリー」に
重きを置いている方もおられました。
人間ついつい目に見えるものばかり大切にして
しまいがちですが、お坊さんのお話を聞いて、
もっと目に見えないこと、誰にも見えないことを
大切にしたいなーと思いました(^^)。