森をまもった男、カルロス・ソリージャ来日!

気持ちいい梅雨の中、いかがお過ごしですか。ナマケモノのワタナベユリカです。

今日はそう、エクアドルの雲と霧の森から、カルロス・ソリージャさんがが日本に到着する日です。

「雨季の雲霧林は、豊かな水に溢れ、とても美しい。」
とカルロスは、雨に感謝しながら言います。日本の雨季の季節に、そんな彼を迎えられることにも、何だかうきうきな人たちは何人もいるはずです。

カルロスが保護区として守り寄り添っている森は、いのちの多様性に充ち満ちた、素晴らしい森。それはカルロスそのものではないかと思わせます。カルロスはそんな人です。

ナマケモノ倶楽部のスローツアーで述べ60人あまりのスローな旅人がその森を訪れています。旅人達が旅を振り返りながら綴った感想文の中から、カルロスさんとその森について書かれたものを抜粋して紹介したいと思います。

以下、長文です。特に最後の前田志保さんの感想はとても良いです。コーヒーでも淹れて、ゆっくり読んでみて下さい。
雨の季節、機会があれば、彼のひとしずく(どころではないけど)を感じにいずれかのイベントへ!

★来日中のカルロスのイベント情報!!

★6月16(月)新カフェスローでのオープニング記念イベントも開催!世話人も勢揃い!

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2002年9月旅人:猪岡保彦さん
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初めてお会いしたのは国際会議の場で、そこで私たちを出迎えてくれたのは、カストロ似の一見怪しいオヤジだった。
そんな「世界のヒゲオヤジさん」の農場の地産地消、月夜に車座になっての歓談。

「好きだから、そしてわたしたち人間はこの自然・森の一部だから守っている」(カルロスさん)と語ったこの空間、パラサイトではない共生する、二次林ではない原生林を、肉眼で見て肌で体感し瞑想する。

そのとき植物図鑑を持っていれば、いくつの樹木を「初めて見た」と指すことが出来ただろう。しかし同時に「どれくらいの植物・昆虫がいるのかもわからない」(カルロスさん)のであって、人間のスパンを超越した世界でもあった。

名前なんて知らなくてもいいのだ。そんな「未知で無限の世界」にちょっと歩いてでかけて接することができる、この素晴らしさ、贅沢さ。

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2004年3月7日(日)@ラ・フロリダ
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・今日会った出来事
ほっぺたが落ちるかと思った朝ご飯のあと、カルロスから原生林、生態系のレクチャーを受ける。その後、森のガーディアン・リーダーのロベルトと共に原生林へ。

カッパと長靴で、原生林をゆっくりゆっくり散策。3時間ぐらいは森にいただろうか。キャビンに戻る頃、ちょうど雨が強くなる。カッパ越しに雨の音を聞くのはいつ以来ぶりだろうか。心地よい。
おいしいお昼ごはんの後は、エル・ミラグロへ。そこの生物が皆、アンニャを恋しがっているような気がした。
戻ってからごはん。その後はカルロスと最後のシェアリングサークル。

・本日の感想
森の中を歩いているとき、私はたいてい一番後ろを歩く。時折立ち止まって、上を見上げたり、来た道を振り返ってみる、そこには吸い込まれるような美しい景色が広がっている。「立ち止まる」ことの大切さを教わる。

・今日のこの人
インタグの父、カルロスには会うたびにたくさんのことを気付かされる。「インタグのこの豊かな自然や文化、環境を守ろうという唯一のバカは、当初自分だけだった。周囲からもおかしい人と思われていた、しかし、20年経った今はそんなバカがたくさんいる。インタグ全体が、声に出して自然環境を守ることをできるようになった。」と語ったときのカルロスのにやっと笑った顔は当分忘れられないと思う。

「メインストリームに逆らって生きるのが、楽になってきている」
彼のそんな生き方によって守られているものが、気づきをもらっている人がたくさんいるんだな。

自然は急げないし、急がない。
人間の時間のものさしを使って
無理矢理それを図ることはできない。
共生するとはそういうことだと思う。
自然のものさしの中で生きることで、
人間はやさしくなれる。

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2004年3月8日(日)旅人:重松壮一郎さん感想文より抜粋
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おいしい朝食の後、カルロスの素晴らしい農園を案内してもらう。
豊かな多様性のある森にあるから、豊かで多様性のある農園。
その後は寂しいお別れ。

素晴らしい場所に、素晴らしい人あり。

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多様性のある森の中で・・・(カルロス邸) 2004年9月旅人:前田志保さん
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さまざまな自然や森を歩いてきたツアーの後半、カルロス邸に向かった。
いったいどんな場所なのか、と思い思い、土、葉を踏みしめながら車から降りて一時間ほど歩いた。その途中に通訳のアヤは、世界で一番すきな森・場所だと教えてくれた。

森のなかに光が差すように開けた青々とした芝生にかわいらしい家が浮かぶ。ここがカルロス邸。

ついたとたんに、アンニャの分身“パチャ”の愛嬌のある爆撃的?なお迎えで始まった。反してアンニャは、静かに鳥のさえずりを聞き、姿を思い浮かべるようにまぶたを閉じて、その鳥の名前を私に教えてくれた。

最初の食事の時に私の目の前にいたカルロスは、フォークの柄に足をとめた虫をみて微笑みかけ、彼が飛び立つまで待った。カルロスの森は「そんな」場所なのだ。と帰るときにふと思った。「そんな」の一部を私のつたない表現で書いてみようと思う。

人々の集う場所には芝生が生え、建物が建ち、水場があり、“仕上げ”に人々が笑っていた。自然のまま、手付かずの自然がもっとも美しいと思いこんでいた私は知らず知らずにこの光景のバランスのとれた美しさにすっと心が安らいでいた。真の共生がここにあった。自然のなかに溶け込むものは表情豊かな自然な人の姿が私に一番安心感を与えてくれた。

森の凛とした空気に包まれ、木のさわり心地、水の流れる音・・・すべて人々が生まれてから共にしてきたもの。これらをコンクリートで覆い固め、隠してきた代償はどこへたどり着くのだろう。
この森にいると ふと「代償」という言葉が浮かんでくる。共生といっても人間から見た共生なのだ。

朝には近くの滝に散歩に行き、すっきりとした湿気に包まれた空気をたくさん吸い込んだ。滝の水は触れると少し冷たく、それ以上に柔らかな感触だった。

滝そのものをカルロスはスペシャルエナジーと表現する。魂をきれいにすると言っていた。滝の流れで揺れる岩肌のコケや草、流れ続ける水、風。すべてが繰り返しのように思えるが、それはすべて新しいものが生まれる瞬間であった。生まれるのではなく「循環」のほうが正しい表現であろう。

すべてが流れ、すべてに繋がる。太陽や月も然り、とてもシンプルな美しい流れであることを感じる。
滝の流れる岩肌を見ていると美しいコントラストが見えてくる。流れに絶えずあたる面には研ぎ澄まされた岩そのものの美しい色。水にあたることのない面には黒々とコケが育ち岩肌を覆い尽くす。どちらが良い、悪いではなく両面をみて美しいひとつの岩となっている。

カルロスの案内で森を散策した時にそれぞれの気に入ったポイントでしばらく時間をすごすことになった。
そのなかで私はもっとも奥の人間の手が加わっていない原生林まで行った。木肌にたっぷりとコケが着生した一本の樹をカルロスに教えてもらった。腰をかけさせてもらい、ぼんやりしていると最初は何も考えないことがこんなに難しいのか、と自分にがっくりし、結局いろいろ考えている時間がしばらく続いた。

コケのクッションに包まれて樹を見上げていると、大きな体に包み込まれているようで心地よかった。
どのくらい経ったころだろうか。一羽の小さな鳥が目の前を横切り、目の前の枝に留まると次の一羽が私の肩にすっと留まった、一瞬時間が止まったような気がした。今思うと触れただけのような感覚だろうが、凝縮された時間が流れ、初めての体験となった。

森の仲間に入れてもらえたような特別な気分を感じた。しかしながらそれにひたることも間もなく、恐怖に近い感覚が訪れた。

カルロスが戻るまで自由に過ごして待つ、という自由さが限界に来てしまって原生林のなかで恐怖感とういべきか、心細さというべきか、なんともいえない感情に陥った。うっそう茂る森のなかはちょっと薄暗くて、いろいろな音が聞こえて、自分の気持ちひとつでお化けの出てくるような世界にもできるし、この世の楽園にもできるのだった。子供のころ未知の土地に踏み入れ冒険した夕暮れの気分と似ていた。

帰りにカルロスの指す方向を見ると複葉性の葉っぱの数枚だけが細かく震えていた。全体が震えるのでなく、一部だけが!これが自然のバイブレーションなんだ、と教えてくれた。

それは宇宙を感じさせてくれた。私たちは歩行できる二本の足を持ち、意志を持てば行きたい方向にいけ、逢いたい人に逢いに行ける。だけど植物は種が落ちた場所で一生を過ごすのだ。この目の前にある葉っぱは、そこに居続け、何かを感じとって受け取った合図のように震えている。愛らしかった。どこの誰と交信しているのだろう?とっても優しい暗号を飛ばしているのかもしれない、いや違いない。

この光景を見て、私たちもこういう種類の感覚があると幸せだろうな、と思った。植物を見習う部分をひとつ垣間見ることができた気がして嬉しかった。本当はこの森のなかに生きる何百、何万?種類の植物のことについても書きたかったが、これが私の感じたカルロスの森の物語。

そしてあまり書かなかったが、カルロスそのものを凝縮していると思うのだ。私の感じた森はカルロスそのものなのかもしれない。去る瞬間、言いようのない感情になった。言いようがなく、伝えられないのだが。ちょっとその気持ちは私の中にしまっておこう(にやにや笑い)。