お客さんに聞かれるんで、ちょっと調べてみました。
すみません、わかりにくいかもしれませんが・・
文章によるもっとも古い記録は「続日本後期」の仁明天皇、
承和4年(837)の条にある
「・・岳吹きとび熱湯川に流れ、其の色漿白(汁)の如くにして
新たに沼出現、沸き立つこと雷の如く」と記載される
潟沼火山の大噴火。
人びとはその地を鳴動(なるどう)の郷、鳴声の郷などとよび
やがて鳴郷とちじまって、鳴子という地名の由来となった。
また、文献、文政10年(1827)水戸藩士、小宮山昌秀
「浴陸奥温泉記」では、「成子(なるこ)」という文字で記載
されています。
はたまた、義経伝説で、義経の奥さんが出産したのですが、
産声をあげず、鳴子の河原の湯に入れたところ、
産声を上げたので、この地を「啼子(なきこ)」と呼び、
鳴子となったという説もあります。「啼子」の字が残っている
碑が、神社の階段のところにあります。
さて、どうなんでしょう。

(K.T.)