「走らない野球」の発想 〜研修会に参加して〜

先週の17日(木)16時〜、大東市内の学校の障害教育部会の研修会に「おもろいやん!NPOあとからゆっくりの挑戦」というタイトルで、講師に呼ばれた粟津さんと一緒に近所の小学校に行ってきました。30名弱の先生方が集まりました。

講演の内容は、実践の中で知った「障害」を持った子どもやその家族がどういった気持ちで過ごされ、どういった生活をされているのかということや、子どもたちにどう関わるのかについての話、「障害」児の存在が周りの環境・私たちの生活や考え方を見直すということに繋がるという話などがありました。

最近、学校の現場から「学校に「障害」児がいて、その子との関わり方やその周りの子どもとの関係の作りなどで悩んでいる」といった相談を受けることが増えてきました。
私は日頃ガイドヘルプなどで、近所に出かけた時に、一緒に外出している「障害」を持った子どもさんと近所の同い年くらいの子どもさんたちと一緒に遊べないか試みる(様子を見る)機会も多いですが、うまくいく時もあれば、いかない時もあるし、いろいろです。
実際学校現場で・・となると(想像すると)、明確な答えがあるわけではなく、私も頭を悩ますのが正直な所です。(それぞれの「障害」を理解して、その「障害」の特性にあった関わりをするということは一つあると思います。しかし、そこだけを大事にし過ぎると、「個人」が見えなくなる可能性が出てくるのではないかという部分から、あとからゆっくりでは、お互いを知っていく中で新たな一面に気付いたり・知ったり、そういった発見に楽しさや「関わり」があるということを大事にしています。そういったところから、あとからゆっくりでは関わる人に「障害」を持った子どものアウトラインは伝えても、細かいマニュアルは伝えません。このような話も講演の中でありました)。

講演を聴きながら、「「障害」児・者の存在が、周りを見直す機会になるというプラスの面がある」という内容で、私が大学1年の時に参加したあるキャンプのことを思い出しました。
そのキャンプというのは、心臓病の子どもたちや成人の方たちと一緒に行くキャンプでした。
心臓病に関してそれ程知識のなかった私でしたが、当事者の方の話を聞く中で、食事制限や運動制限がある中で、学校や地域の中で「制約」を受けているという話を実際に聞いたりしました。
キャンプの中では、そのような気持ちを人に話したり、わかち合ったりしていくことも目的としてありました。そして、「全体遊び」の時に、みんなで「野球」をやろうという話になりました。でも、運動制限で走れない人も多くいました。その中で、あるルールが決められ、野球をすることになりました。そのルールと言うのが「走らない」ということでした。

私はその時、生まれて初めて「走らない野球」を知り、生まれて初めて「走らない野球」に参加しました。とても衝撃を受けました。
その気持ちを更に掘り下げて考えてみると、「野球は、ボールを打ったら走るもの」「身体がしんどかったら見学する」といった価値観が自分の中にあり、それが崩れた瞬間でもあったのです。

「みんなが参加できるために、ルールを変える」簡単なようですごく難しいなと思います。今までの価値観で見ていたら、絶対に気付かないことだと思いました。

こういった発想は、こういう出会いにまず触れることが大きいなと思います。しかも小さい頃からそういった環境にいるのかいないのかによっても大きく変わってくることだろうなと思います。

また子ども達にどう関わるかということを考える時に、大事なのは「○○さんがいるから楽しい」、「○○さんがいたらもっと楽しい」という気持ちなのだろうなと思います。その部分にたどり着くまでに、いろいろな壁があるんだなと改めて考えさせられました。いざ現場に出くわすとかちかちに固まってしまう私ですが、そういったことを「障害」をもった子どもたちの中で、また「障害」をもった人との関わりに限定しない、日常生活の人と人との関係の中でもまれながら、意識して持っていけたらいいなと思います。それが難しいですが。。

今回の研修会では、4年前に教育実習でお世話になった先生方が何名かおられました。こんなに近くで活動していても、自分たちの取り組みについて知られていなかったりするので、まずは知ってもらうことから。少しずつ一緒に考えていけることを増やしていきたいです。

大塚