藤川大祐著 講談社現代新書より
数年前から、中学校の養護教諭に聞いて
気になっていることがあります。
仲のよかった友達との関係が悪くなり、
関係の修復ができないという悩みを、
生徒たちが保健室に来て相談するのだそうです。
仲の良い友達であれば、一度関係が悪くなっても、
また仲直りすることができそうに思えます。
しかし、子どもたちには関係の修復が難しいというのです。
私は、一度互いの違いに直面してしまった子どもたちが、
もう同調し続けられなくなったのだと解釈しています。
自分たちの価値観は同じであることが
前提に築かれた友人関係は、脆いものです。
価値観がすべて一致する人たちなどいませんから、
一緒にいれば違いをうすうす感じることは避けられません。
自分たちをごまかし続けられるうちは一緒にいられますが、
ごまかしきれなくなると関係を修復する術がなくなります。
言い方を変えると、同調によって成立している人間関係では、
それぞれをかけがえのない存在だと認識できないのです。
同調できることだけに意味があるのですから、
同調できない相手には友達としての意味は感じられません。
誰かと同調できなくなれば、新たに同調できる人を探すしかないのです。
こうした問題を根本的に解決するには、
違いを前提とした人間関係を築くしかありません。
この人は自分と違うから友達になりたいという思いから出発して、
友達をつくるのです。
しかし、自分と違う他者とかかわることは、煩わしいものです。
自分が素敵だと思うファッションを、相手は否定するかもしれません。
自分は夜にメールのやりとりをしたいと思っても、
相手は一人で考え事をしたいと思うかもしれません。
互いの違いを前提とした人間関係では、
あらゆることに調整が必要で、互いがある程度の距離を保ちながら
時々一緒にいるという関係にならざるをえません。
ケータイでメールを一分以内に返しあうような、
ずっとつながっている感じとは大きく異なるのです。
(p101-102)
<ハンゲショウが色づきはじめています>