慰霊の場所、水俣湾 水俣報告4

水俣湾は昭和52年から、汚染のひどい約58万㎡を護岸で囲んで浚渫を行い、埋め立てた。平成2年にようやく終了している。
写真は埋立地に建つ説明板である。「水俣湾埋立ての歴史的背景」の最後には、「人びとの苦しみや生き物たちの犠牲の上に作られたこの地で、訪れる人のすべてが環境を保全することの重要性を理解してもらえるよう願っています」と書かれている。

水俣湾を望む正面に「慰霊の碑」が設けられている。この碑は、水俣病公式確認から50年を向かえるにあたって設けられたものである。
毎年5月1日(公式確認日)に、水俣病患者慰霊式が「慰霊の碑」の前で開催される。碑の隣には、海の鐘・山の鐘が建っている。鐘を鳴らすと頭を垂れずにはいられない。

埋立地は広大な広さであり、目の前の海は綺麗に澄んで、小さな魚やクラゲが泳いでいた。そうと説明されなければ、ここで発生した水俣病の悲劇は分からない。
「慰霊の碑」や説明板の重要性が改めて認識させられる。また地元の人びとのガイドが大事だと考えさせられる。
足元のごみは、満潮のときにはそこまで潮が上がるということであり、鉄柵もかなり錆が目立ち始めていた。

右の写真は、水俣湾でただ1つ残された自然海岸である明神海岸である。この海岸には、小さな蟹が無数に動き回っていた。
中央のコンクリートの塊は、かって水俣湾に設置されていた仕切網の基点である。仕切網は「水銀の汚染された海の象徴」といわれ、下の写真のように設置されていたが、平成9年にとり払われた。

仕切網の設置模型図である。図のように取り囲んで23年間も設置されていた。この網は、網の外から汚染された地域に魚が入り込まないようにと設置されたものだという。
しかし今や、このような網があったこともこの模型図や上の写真の明神海岸の基点の跡(コンクリート塊)でしか知ることができなくなった。