水俣とエクアドル

*** 訳文 ***

2001年の日本への旅で一番印象深かったのは、水俣だった。私が今日書いた短い エッセイは、日本のみなさんにも興味あるかもしれない。コレア制憲は、太平洋岸、マンタ市のそばに、大規模な石油化学工場を作ることを計画している。

カルロス

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マナビの友人たちへ
(注:エクアドルの県のひとつ。バイーア・デ・カラケスがある県)

昔々あるところに、「ミナマタ」という、海岸のそばにある村がありました。そこに住む人々は、魚を獲って暮らしていました。
1930年代に、日本政府は、 「開発」という大プロジェクトの名の下に入り込み、石油化学と肥料の工場を設置しました。そしてその工場は、海に廃棄物を流しました。

お国の利益のためゆえに、そして開発と発展を意味するものゆえに、この国家事業に異を唱える者はいませんでした。人々は国の好意を信頼しているし、誰も国が言うことを疑ったりはしません。
「廃棄物は、海を汚染したりしないし、漁業に影響を与えるようなことはしない」

そして数年が過ぎました。最初に汚染による混乱の実験台になったのは、魚やその屑を食べて生きている猫や海鳥たちでした。痙攣、遺伝性奇形、そして変死。つつましい漁師たちは、汚染との関連はないと保証した政府のお役人さんたちに、自分たちの不安を訴えました。その当局を信頼していたし、その工場は国のため、開発と発展のためだったから、誰も何もしませんでした。

さらに数年が過ぎました。あるいは数か月だったかもしれません。生まれてからずっと海で暮らしてきた漁師たちは、ひとり、また一人と病気になっていきました。みんな魚を獲る網、そして船を手放さなければならなくなりました。

おなかに赤ちゃんを授かった母親たちは、流産してしまうようになりました。そして流れてしまった子を見て慄きました。身体的、精神的障害をもった子たちが生まれるようになったのです。中には、極度に異常な箇所を持ってきて生まれた子もいました。その間、猫や海鳥たちはますます死んでいきました。

村は、団結し、説明を求めました。政府のお役人さんはたくさんのデータがつまった表やグラフを見せ、これらのことは工場とは何も関係がないことを保証しました。

にもかかわらず、障害を持って生まれる子どもたちは絶えません。そして少しずつこの悲劇は、水俣のすべての家庭へと広がっていきました。彼らは単なる漁師。それに引き換え、工場は国のため、そして開発、発展のため。その上、 お役人さんや学者さんたちが、この廃棄物と汚染は関係ないと言うのです。人々は、黙って家に帰るしかありませんでした。

さらに年月が流れました。異常な体形、流産、障害児の出産は止みません。怯えた村は、政府のお役人さん、その会社のお偉いさん、学者さんたちに訴えました。集まって行進し、叫び、答えと真実を求めました。でも工場は国のため、そして開発、発展のためのもの。お役人さんたちは彼らを開発を妨げる者、非国民と呼びました。

でも時はすでに遅しです。水俣は、怒りと涙でいっぱいでした。それまでの日本では、村が国にたてついて答を求めるなんて、そして国に真実を言わせ、工場の閉鎖を強制するなんてありえませんでした。そしてその間、3000人もの人々が、そのつつましい村の名前がつけられた病「水俣病」に侵されていたのです。*それはすべて、国のため、そして開発、発展のためだったにもかかわらず。==========*

この話は真実だ。1930年から60年にかけて、日本の小さな村、水俣という場所で起こった出来事である。水俣で、この影響を受けなかった世帯はひとつもない。私は2001年に水俣を訪れ、この卑劣で許せない悲劇に対して正義を求める活動家の人々と話した。

*水俣病*は、非常に重い中枢神経疾患で、水銀の毒により引き起こされる。 症状は、運動失調、手足の感覚障害、//視覚求心性視野狭窄・聴力障害、弱体化、そしてひどい場合には、麻痺や死をもたらす。

水俣病は、1950年代に水俣市(日本)という場所を中心としてメチル水銀による中毒から芽を吹いた。その芽を感知した1956年、46名もの死者が出た。ペットや鳥たちも同様の症状を呈していた。

1953年から1965年にかけて、111名もの犠牲者と400名にものぼる神経疾患を患う人々を数えた。その症状がなかったとされた母親たちは、重度の障害を持った子どもたちを産んだ。

1968年、日本政府は、正式に、チッソという石油化学会社の水銀の投機により汚染された海産物の摂取によりおこった病気だということを発表した。 1932年から1968年の間に、途中、より汚染が少ない合成物質に変わったものも含め、81トンもの水銀が投機されていた。

被害者たちは、1996年まで補償されていなかった。このケースは、日本の環境責任にかかわる「四大公害病」のひとつである。汚染された食品の消費が病気の原因であることを、疫学的に証明できたことは非常に重要なことだと言える。

2001年当時、2955名に人々が、水俣病であると診断されていた。そのうち2265名は、八代海の沿岸に住んでいた。患者は、経済的な保障と医療費支援を得られる。人々の心配を減らすために、日本政府は、汚染地域に住む人びとに医療検査を提供している。

水俣病を世界に知らせた W. Eugene Smith

現在、10,000名もの人々が、水俣病の補償を求めている。

マナビの若者たちへ

もしあなたたちが、本当に私たちの国の政府や機構は、「エル・アロモ」という大規模な石油化学プロジェクトを社会的、環境的影響をコントロールできるほど強く、正直で、目的意識を持ち、透明であると信じているのであれば、祝福する。でもそれを疑問に思うのなら、水俣のような悲劇を避けるために一緒に取り組もう。

カルロス・ソリージャ