「人材」ということについて徒然思うこと。

夏になりまた今年もたくさんの学生ボランティアを受け入れています。

昔とちがって最近はボランティアを受け入れる機会も年間通じて増えていますが、やはり「夏」という季節は今もなお思いの募る時期です。

最近読んだ本に「ボランティアを受け入れることはかえってお金がかかる」という一節がありましたが本当にそうだなと思うことがあります。

それはまっさらな人に新たに経験をつけさせていくという類のものだから仕方のないことです。ボクたちはある意味それを「投資」と考えています。

実際、最近のイベントも参加費が少し高めになりましたが事業所としては全く利益にはならず、持ち出しやリスク管理に常に頭を悩まされます。

いつもお世話になっているT社長が先日飲み屋でおっしゃっていましたが「昔会社勤めをしていた頃に上役が新入社員を連れて来て『まぁ3年は使い物にならんやろけど面倒見たってや』」と言ってきたそうです。

「面倒を見る」というのは仕事を教えるということだけでなく、ごはんを食べさせたりお酒を飲ませたりすることなんだなと思います。

T社長曰く、これが日本の会社の持っていた「会社が人を育てる」という機能だそうです。昨今は不景気で「即戦力となる人材求む」「雇用ではなく契約で」というふうに日本の会社も変わってしまったと嘆かれております。ボクも共感します。

余談ですが、最近契約社員を雇用に変更する企業も増えてるようです。人材の安定化を図ることで経験(スキル)への投資を減らすことができるという考えが拡がっているともいわれます。

一方でボクたちの行う人材(学生ボランティア)への投資はこれとは違った趣であります。

それはボクたちの目的が固定した人材のスキルアップではなく、経験(スキル)を身につけた人材を社会全体に増産していくことだからです。

一事業所のための人材ではなく、社会全体のための人材。だから人材確保ではなく人材育成と言っています。

あわづ