久米島から考えること 酒井啓子より

この夏 沖縄の久米島に行って来た
第2次大戦中 この島で日本軍による
住民虐殺が行われたからである

世界で最も美しいといわれるイーフの浜に
米軍が上陸したのは1945年6月26日
その前後 捕虜となった者や米軍の降伏勧告状を預かった者
さらには朝鮮出身の貧しい住民が密告されて
家族共々合計20人が日本軍に虐殺された
スパイだとして処刑されたのである

だがこれらはすべて沖縄戦終結のあとのことだ
半数は8月15日の終戦の後に殺された
虐殺を命じた守備隊の責任者は後にインタビューで
「米軍にやられるより先に住民にやられるのではないかと考えた」と
述べている

「守備隊は30人だから島民1万人が寝返ったらひとたまりもない」
という責任者の言葉は
久米島住民を同じ国民とみなしていなかった証左だ
世界中の植民地統治官が植民地住民に対して
発する言葉と変わるところがない

戦争の恐ろしさは誰が正しい国民か
といった切捨ての思想が当たり前になっていくところだ
戦争の中で生き延びる道が稀少になれば
それまで「国民」とみなしてきた人々の間に差別を設けて
相手を切り捨てようとする
非国民とか民族や血筋が違うとか 思想が違うとか

民族や宗派の対立は最初からあったのではない
誰が生き延びる権利を持つかという不毛な競争を
それまで共存していた人たちの間に惹起するのは戦争である

<サルスベリ(百日紅)は夏の花ですね>