あの人に迫る 山本譲司

秘書給与を詐取した罪で433日間にわたり服役した
元衆院議員の山本譲司さん(45)は今、
障害のある出所者やホームレスの人の社会生活支援を続けている。
福祉の網から漏れた人々が受刑を繰り返す現実。
塀の中で直面した矛盾を世に問いながら、
福祉や矯正行政の変革を促している。

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刑務所の現状は誤解されているのではないか。
高い塀が極悪な人間から社会を守っている、と。
だが塀の中を見ると、
社会に居場所がなくて罪を犯したり、避難所として使ったりと、
罰せられているというより保護されている人が7-8割くらい。
あの塀によって冷淡で厳しい社会から守られているんです。
セーフティネットとして社会的処遇が機能すれば
法務所の矯正予算で隔離する必要はない。
税金の使い方としてもバカバカしい。これが文明国家ですか。
このことに気づかず、福祉政策で分かったようなことを言っていた
議員時代の贖罪意識もあるんですよ。

障害や高齢ゆえではなく、生活困窮者が
刑務所に避難しがちになってしまう。
こんなことで刑務所に入るの、という人がゴロゴロいるわけですよ。
福祉とつながっていれば実刑とならないような。
執行猶予を出しても行くところがないから、裁判官も仕方ない。
「とりあえず刑務所に行くかい?」と言う裁判官に、
被告席の知的障害者が「はーい、おじさん」と。
日本の福祉は狭い。
車いすを押したり、オムツを替えたりと言う福祉にとどまっている。
障害者には認知行動療法など対処の仕方があり、
訓練を受けさせれば豊かな人生を営む力もつくはずなのに、やらない。

(なぜ問題が見過ごされてきたのでしょうか)
マスコミの責任も大きい。よく聞くのは
「知的障害者や精神障害者の犯罪はペンが鈍る」ということ。
「誤解や偏見を与える恐れがある」という倫理観みたいだが、
結果として、あるものがないものになってしまっている。
最近は「KY(空気が読めない)」なんていう言葉を政治家も使うが、
空気を読むのが先天的に困難な人もいる。
こういう人を排除していいという風潮に、
KYなる言葉が免罪符を与えている感じ。
競争社会とか自己責任とか、
異端なものを押しやる社会を是認しているんじゃないかな。

<百日草は優雅な花です>