語りつぐ戦争より

リンチで失神 戦友脱走した

15歳で結核を患い病弱だった私は
20歳の徴兵検査で第三乙種合格だった
この年末に真珠湾奇襲
現役で入隊した同期生のほとんどは戦後も帰らなかった

2年後海軍航空整備兵に召集
初年兵教育で鈴鹿海軍航空隊へ
軍人精神注入棒と墨書された棒で
訓練後に前屈みさせられ尻を打たれ
鬱血が腿まで下がり駆け足に難儀した

戦友の結城君は私と同様に短身だったが
故郷山形県代表のスキー選手で
肺の弱い私の代わりに銃を担いで駆けたりしてくれた
お陰で私は落伍の罰を逃れた
彼は上海の陸戦隊に選ばれ後の消息は分からない

新兵は軍人勅諭の暗誦が必須だった
班で言葉に障害のある戦友がたちまち詰まり
下士官の注入棒でめった打ちにされ何度も失神した

ハンモックのうめきは朝まで絶えなかったが
翌日彼は野外演習の際に脱走
「脱走は部隊の恥」と部隊長命令で捜索したが
後日鈴鹿山中に餓死体で発見された

戦時下、脱走兵の家族はどう扱われたか
思い出すたびに心がうずく

・・・・・・毎年8月には戦争体験者の声が取り上げられます
私たち「戦争を知らない子ども達」にとっては貴重な体験談ですので
思い出すだけでも辛いことでしょうが、ぜひ語り継いで欲しいです・・・

<ススキがゆれています>