先日、なわてファミリーサポートセンターで「障がいのある子どもさんへの関わり方」というテーマの講習会に、講師としてお話させてただける機会がありました。

話の中で、ある写真から「障害」児の生活背景を考えていくということで、二枚の写真を提示しました。一枚目の写真は「家のドアの写真」で、2枚目の写真は「バス停の写真」でした。
「家のドアの写真」では、「障害」をもった方が家でどういった生活を送っておられるのか・・・ということを想像してもらうということで提示しました。
私が小学校の時に、クラスメイトに知的「障害」をもった友だちはいましたが、その子が家でどういった生活を送っているのか、親御さんはどういった思いで生活しておられるのかということについては全く知りませんでした。ここに関わるようになって、実際にどういう生活を送っておられるのかということよりも、「知らない、思いを馳せたことがない」ということに気付かされました。そのことと、私の知っている範囲で、お家の中の状況などをお話させていただきました。家族だけでは解決できない問題がたくさんあることなどを伝えさせてもらいました。

また2枚目の「バス停の写真」については、あとからゆっくりに関わりのある支援学校に通われている「障害」をもったお子さんは、毎日支援学校に大きなバスに乗って30、40分かけて学校に通っていますが、子どもさんの送り迎えは親御さんが毎日されているといった状況です。写真はその時の様子をイメージしてもらうということで提示しました。「障害」をもった子どもさんの送迎を毎日親御さんがされている一方、バスのすぐ横に目をやると(実際の写真にはバス停とバスの画だけでしたが)、地元の学校がすぐ隣にあり、「障害」をもった子どもさんと同世代くらいの子どもがお友だちと仲良く帰っている姿があります。またもう少し先に目をやると、ヘルパーさんらしき人(年配の女性で、ネームを首からさげられていて、ジャージ姿の方)と、知的「障害」者と思われる大きな男の人と一緒に歩いている姿があります。
「障害」者=親やヘルパーさんと一緒。同世代の友だち関係の中に自然にいるというイメージはないといったように、疑問をもたなければ、その場面が、「そういうものだ」と分けられているということに納得してしまうのではないかという話をさせてもらいました。そしてそういった状況・環境は、どうしてつくられているのかについて少し考える時間をとり、全体で考えました。

どちらの場面も、私がここの関わりの中で、疑問を抱いたり、今まで抱いていたイメージががらっと変わった場面でした。

そして実際に関わりのある「障害」をもった子どもさんのお母さんたちの生の声を伝えさせてもらい(子育ての思い。子どもが小さい時、子どもと二人で誰もいない公園を探した・・自分の子どもが「かわいい」と思えない・・・・もちろんすべての方の思いというのではありません)、最後に、そういった思いを大切にした「障害」のある子どもさんの関わる際の基本的な姿勢について、あとからゆっくりでの活動の映像を見ながら一つ一つ伝えさせてもらいました。

参加者の中には、実際に「障害」児のお母さんもおられました。様々な立場の方がいる中で、いろいろな気持ちや「障害」児者に対するイメージが出され、「障害」児者の生活や環境についや、実際に関わる上でどうしたらいいのかということを参加者の皆さんと考えていけたことが嬉しかったです。

「今までは分けられていることに納得していたような気がする。不安ばかりではなく、何か関わりたい」という参加者の方からの感想には、私自身も励まされました。

おおつか