新年のごあいさつ:辻信一

ゆっくり村の後藤くん、スローウォータカフェの藤岡亜美さん、
そしてナマケモノ倶楽部の皆さん

亜美さんの「ナマケモノクロール」の脱穀記、後藤くんの「断食と流星」、ナマケモノ倶楽部が10周年を迎える年の初め、ふたりの若きカルチャー・クリエイティブの文章が心に沁みました。脱穀を通じて、そして断食を通じて、ふたりは「食べる」というもっとも大事なテーマに焦点を当てています。

2008年から2009年への境目にたって、ぼくは同時に、時代の大転換期の只中にいることをひしひしと感じています。たぶん、若い二人もきっとそうなのでしょう。でも、ふたりがすごいのは、その世紀の大転換期をどう生きるのかという、一見難しい問いへの答えを、さりげなく、差し出していることです。

今年11月に来日予定のサティシュ・クマールが主宰する雑誌「リサージェンス」では、最近「食べる」ことについての特集を組みました。タイトルは「ごちそうと断食——食卓と地球をつなぐ」。クリスマスをはじめとした年末年始の祝祭の時期に合わせたんでしょうね。巻頭エッセーで、サティシュは、こんなことを言っています。
 
「クリスマスのごちそうと、レント(キリストが荒野で断食したのを記念して断食、ざんげを行う四旬節)の断食は、ともに、人々と食べもの、自由と節制、祝祭と孤独との間のバランスのとれた関係を象徴する、重要な行事です」
「ごちそう(feasting)と断食(fasting)は逆のことを意味する反意語ではなく、むしろ、互いに補足しあう相補的な関係にあります。断食という心の枠組みの中でこそ、一時の快楽に溺れることなく、本当の意味でごちそうのすばらしさを愉しむことができるのです」

もっと一般的に、こう言ってもいいかもしれませんね。「食べない」は、単に「食べる」ことの否定なのではなく、「食べない」があればこそ「食べる」ことに意味があるのだ、と。「どう食べる」か、という問いは「どう食べないか」という問いとうらおもての関係です。

もちろん、食べないと生きられません。でもそのことをぼくたちがすっかり忘れているなら、それこそが問題なのです。その意味で、食べるとは、「食べないと生きられない」ことを思い出し、再確認するための行為だといえます。それをもっと意識的にシンボリックに行うのが「祝宴」であり「ごちそう」なのでしょうか。同様に、「食べないこと」、つまり断食もまた、「食べないと生きられない」ことと、「食べることのありがたさ」を意識化し、可視化するための儀礼だと思われます。

この地球上に十数億ずついると言われる、食べ過ぎて苦しんでいる人々と食べられずに苦しんでいる人々のことに思いを馳せる機会にしてもいいでしょう。

食べものがあるのがあたり前、それも世界中のありとあらゆる食べものが簡単に手に入る、というのはやっぱり異常だ、という声がやっと巷に聞こえるようになりましたが、そもそも、食べるのがあたり前、になっているところにこそ、危うさがあるのではないでしょうか。 

度々引用しますが、やはり、三浦梅園の「枯れ木に花が咲くを驚くより、生木に花が咲くを驚くべし」ですよね。「いただきます」「ごちそうさま」「ありがとう」「おかげさま」といった言葉はどれも、「食べること」、そして「生きていること」の奇跡を表現する驚きの言葉です。
サティシュは、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』の中の、主人公と美しい情婦カマラとのやりとりを紹介しています。「あなたには、わたしの愛に値するどんな能力があるのか」というカマラの問いに、シッダールタはこう答える。「わたしは考えることができる、待つことができる、そして食べないでいることができる。」

「食べないこと」って、すごい能力なんですね。サティシュも言っているように、我々現代人はシッダールタに引き換え、待つことも、食べないでいることも、まるでだめです。でもそれは、裏を返せば、食べる能力もまた、ひどく衰えているということなのでしょう。
さて、「食べること=食べないこと」という原点に戻ることが、今ぼくたちひとりひとりに問われています。多分それが、ぼくたちが今、この歴史的な大転換期に何ができるか、何をすべきかということへの、いちばん単純な、しかしいちばん深い答えなのではないでしょうか。

すべては自分の食卓から始まる。何を、どう、誰と、どこで、食べるのか。どんな食材を、どのくらい、どう料理して、どう盛りつけて食べるのか。その食材を、どこの誰から、どのように、どのくらい、手に入れるのか。これらのことを、手を抜かず、こころを込めて、ていねいにやっていくことなしに、いくら食の危機だと騒いでもどうにもなりはしません。

エッセーの最後で、サティシュはこう言っています。
「さあ、土の中に手を突っ込む用意はできましたか? 自分で料理したり、一緒に食卓を囲めますね? えっ、そんな時間はないって? それは残念、まともに食べる時間がないということは、生きる時間がないということですから」

ナマケモノ倶楽部はもちろん、生きることを選びます。そうですよね、皆さん? ぼくたちの食卓から、ハッピースローカルチャーを創り、世界を変えていきましょう。

辻信一