ナナオ・サカキが亡くなったと聞いて、なぜだか
今夏、亡くなったターシャ・テューダーを思い出した。
まもなく86歳だったナナオと92歳のターシャ
最後まで、家も定職も持たず、世界を放浪しながら歩いたナナオと後半生は、山奥に広大な庭園をつくり、自給自足的に生きたターシャ
2人は、一見するとまったく違う生き方をしたように見えるけれども
世間の常識に囚われることなく、自由に好きなことをして生き抜いた。そして2人とも自然が大好きだった。だから、それを守ろうとした。
彼らの生き方は、多くの人に驚きや勇気や励ましを与えていた。
ターシャはこんなことを言っていた。
どんなに忙しくても一杯のお茶をゆっくり味わう
それが人生を楽しむ秘訣だと。
土に触れ、野菜や花、命を育てる
それ以上の喜びがあるかしら?
最近の人は、待つことが嫌いよね
でも、命を育てるには待つことが大切なの
待つことが苦痛でなくなれば
人生はうまくいくようになるのよ
自然の中で季節と共に生きる
それがどんなに素晴らしいものか
平凡な毎日が自分次第で特別な日に変わる
何を着て、何を食べて、何を買うか
どんな風に暮らすのか、それが大事
こうしたターシャの言葉と実践は、
ナナオの詩と生き様につながっているように私は感じる。
「奇蹟」
空気
風
水
太陽は
奇蹟
駒鳥の歌
奇蹟
ミヤマオダマキの花
奇蹟
どこから 来たのでもなく
どこへ 行くのでもなく
君は
ほほえむ 奇蹟
「これで十分」
足 に 土
手 に 斧
目 に 花
耳 に 鳥
鼻 に 茸
口 に ほほえみ
胸 に 歌
肌 に 汗
心 に 風
そして、辻信一さんも紹介していたが
ナナオが、こんな詩を残してくれたことが嬉しい。
「野生に 声あり」
ひとりの人間は 自然と 人間性を 代表する
20世紀の経済社会は
自然に反し 人間性に さからってきた
悲惨と屈辱の歴史を これ以上 くりかえさないよう
さわやかで たのもしい 経済社会への道を
みんなで さがそう
1.ぎりぎり 必要なものだけを 求めよう
2.工場製品でなく 手づくりを
3.スーパーマーケットでなく 個人商店 または生協に つながろう
4.虚栄と浪費のシンボル—誇大広告を まずボイコットしよう
5.最大の浪費 ミリタリズム(軍国主義)に かかわらない
6.生活のすべてに もっと 工夫と創造を
7.新しい 生産と流通のシステムを 試みよう
8.汗と思いを わかち合う よろこびから
9.真の豊かさとは 物と金に 依存しないこと
10.野生への第一歩 − 私は 歌 私は ここを歩く
1997.2
代筆 ななお さかき
一昨年の2月、83歳の榊七夫さんが、福岡の我が家を訪ねてきてくれた。そのときの置き土産であるカウボーイハットが今も彼の姿を思い出させる。たまたまそこにやって来た不良息子が、彼の話を面白がって聞いていた。
「マジっすか!」「スゴイっすねえ!」を連発していた息子と仲良しになった七夫さんが語る北米の洞窟で暮らした話は、最高に面白かった。
それまでの人生で、ほとんど大人を尊敬したことがなかった息子が、おそらく初めて尊敬した大人がナナオ・サカキだった。