ガザのこと、心が痛みます。デモクラシー・ナウを見ています。また、手に入れたばかりの、アリス・ウォーカーの絵本「なぜ戦争はよくないか」を娘といっしょに読んだところです。 (中略)
11日、ぼくもピースパレードという名のデモに行ってきました。ふじいもんもかいてくれていましたね。そのふじいもんにも会えてうれしかったです。深津高子さんもいました。その高子さんと話しながら、歩いたんですが、そのすぐ横でスピーカーで怒鳴り始めた人がいて、耳がおかしくなりそうなので、ふたりで場所を変えました。
その人は、東京タワーの下に行楽の人たちがいっぱいいるのを見て、やはり何か言いたかったんでしょう。ガザで起こっていることについて、皆さんに知ってもらいたい。またその惨状を訴えるために、こうして歩いている、ということなんですが、そこでもぼくは違和感を覚えたんです。
極端にいうと、私たちは知っている、あなたがたも知る責任がある。私は歩いている、あなたも歩くべきだ。という印象を受けたんです。おまけにその人は、こういう趣旨のこともいった。「今は、地球温暖化どこじゃないんだ」
もうひとつ、ある人にそのデモで言われたことで、ふーむ、と思ったのは、「辻さんも来ているんですね、環境系の人あんまりこないんですよ、こういうところ」というものでした。
暮れに銀河へと旅立ったナナオ・サカキは、かつて原発、平和、環境などのさまざまなデモや集会に、どこからともなく、フラッとやってきたものです。彼の詩にもでてくるホピ民族につたわる詩句は「わたしは歌、わたしはここを歩く」。彼には、「あなたも歩くべきだ」という言葉はなかったと思う。環境破壊より、戦争だとか、戦争より環境破壊だとか、という発想なんかなかった。いつも愉しそうに、歩き、歌って、しかも闘っていた。
ぼくは、まだまだ、「私は歌」という巡礼の境地にはほど遠いんだけど、それでも、ピースパレードを歩くわけです。たまたま、都合がついてピースパレードに行けましたが、ありがたいことだと思っています。いろんな意味でのんきな立場であればこそ、行けたわけだし、自分なりの表現にもなってそれなりの満足感も味わえたし、友だちにも会えたし。
「おかげさま」以外のなにものでもない。行けなかった人より自分が立派だなんてことはありえません。要するに自己満足なんです。それでいいとも思っています。
あそこにいなくたって、祈っている人はいるし、ちがうしかたで抗議しているひとたちもいるし、考えている人もいるし、また、ガザのことを知らなくたって自分のまわりに愛や平和を創っている人もいるし。何もしていない人を責めたり、何もやれない自分を責めたりしないようにしましょう。責めて、なにひとついいことはありません。
それでなくてもぼくたちはナマケモノなんです。弱くて、たいしたことはできない、いい加減な人間たちなんです。でも、同時に、ぼくたちはハチドリ。クリキンディは、他の動物を責めたりしなかったでしょ。また、ひとしずくしか運べない自分を卑下することもなかった。といって、自分の勇気を威張ることもなかった。でしょ?
世話人の中村さんから、「ピースキャンドルナイト」の提案が来ています。ナマケモノ倶楽部として何ができるかを、話し合いたいと思います。
辻信一