子どもの時の遊び場の思い出・・・

愛知県の一宮というところで30数年前、建物が建ち並ぶ街中で私は育った。
公園もあまりなく唯一の遊び場はアパートの横にある小さな空地。
小学1年生の頃、高学年のお兄ちゃんたちとそこで鬼ごっこをしたり、おままごとをしたりしてよく遊んでいた。
特にわくわくした遊びが、隠れ家づくり。
空地の中でも大人に見つからないあたりに、ある日みんなで穴を掘り出し、そこに隠れ家を作る事を計画。
小学1年生だった私はその穴が毎日どんどん深くなっていくことにドキドキし、学校から帰ると毎日そこに見に行った。

でもある日、掘っていて大変なものを掘り当ててしまった。
水道管だ!

隠れて穴を掘っていた事が大人たちにばれて、お兄ちゃんたちは相当怒られていた記憶がある。
でも私にとってはスリルのある最高の遊びだった。
そして冬、雪が降るとそこにみんなでかまくらも作った。
小さい空地だったけど、子どもにとっては最高の遊び場だった。

でも、ある日そこにドラム缶に入ったコールタールが不法投棄された。
最初私たちは面白くてそれを使っておままごとしたり、草を入れてみたりして遊んだ。
私たちはコールタールが自然に帰らない事も、雨で流されない事も知らなかった。
いつしかその遊び場はそこらじゅうがコールタールでドロドロの遊び場になってしまった。大人たちは服にコールタールがつくと落ちない事を理由にそこで遊ぶのを禁止した。

私たちはそれでもいろいろな遊び場を見つけた、駐車場と駐車場の間の抜け道、鉄材が放置されている空地、積み上げられた古タイヤの上・・・。
でも、どこもかしこも危ないという事で遊ばなくなっていった。
そして友達は塾に行きだし、一人っ子の私は、学校から帰ると、再放送のアニメ番組ばかり見ていたような気がする。

 今の子どもたちはいったい自分たちの遊び場環境をどう思っているのだろうか?
意外になんとも思っていないのかもしれない。
ゲームがあればそれで満足なんて子もいるのかもしれない。

だけど、毎週私たちの遊び場に欠かさず来てくれる子がいる。
雨の日も雪の日も、中学になっても・・・。

どんな時代、どんな環境になろうとも、子どもは遊びの天才だ!
『生きている事』=『遊び』といってもいいぐらいにいろいろな事を考えてくる。
そんな子どもたちがのびのび育つ事のできる社会環境をこれからも地域で育てていきたいと思っている。