金田一秀穂さん 杏林大教授 より
品格というのは、そんなに古い言葉ではなく、
明治以降に広まったものでしょうね。
「品」は、有名だとか、地位が高いということを
超えた価値を示す言葉です。
お金がなくても品のある人はいますよね。
「格」も、社会的な階層や具体的な地位を指すものではない。
「核が違う」というときには、上下関係じゃなくて、
その人が備えている威厳、オーラのようなものを「格」というわけです。
つまり「品格」は、俗世間とは違った価値観を示す言葉です。
だから本来は、政治家とか実業家にはそぐわない。
明治の人は、「あの首相には品格がある」と褒めたりしなかったでしょう。
同じ意味で「国家」と「品格」もミスマッチな感じがしますね。
それなのに、なぜ「国家の品格」がもてはやされたのか。
国家の価値が経済力でしか語られないから、
「品格」のような精神的な言葉が新鮮に見えたんじゃないですか。
いつの時代の流行語も、そのとき欠けているものを表している。
80年代以降の流行語は、「こだわり」「癒やし」「清貧」とか、
心に関係した言葉ばかりですよね。
心にうつろな部分があるから、そういう言葉が求められる。
(中略)
社会全体がすぐに答えを求め、白黒をはっきりさせたがっている。
特に若者にそれを感じます。
世の中は白でも黒でもない、灰色なんだから、自分で考えろというと、
考えるのは嫌だと思考を停止してしまう。
品格というレッテルを張って、それで片づけたような気になる。
(中略)
「品格のある日本語」というのは、借り物ではなく、
自分が一番よく知っている言葉で語られるものですよね。
方言なんかはとても品格がある。
流行語を取り入れただけではだめです。
何でも品格、品格というのは、品格のある日本語ではないですよ。
<オンシジュームが鮮やかな黄色の花を咲かせています>