2009年春号(Vol.54)の紹介 ② 詩を書いてみよう

今号のインタビュー応じてくださった人は、
「表現」あるいは、「コミュニケーション」を
テーマにする方々が中心になりました。

例えば、ご夫婦で現代詩を書いていらっしゃる、
大倉元、司 茜ご夫妻は、大和郡山市から、
事務所までわざわざ出向いてくださいました。
若い頃を疎開先の若狭で暮した司 茜さんの下の詩は、
NHKの「ラジオ深夜便」で
朗読されたことがありますから、
ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?

「千年」

千年たったら
わたしら どうしてるやろね

そうやなあ
俺は大歩危の霧になっていたいね

そやったら
わたしは若狭の海の波になるわ

百年に一度位は逢いに行ってやるよ

互いの眼鏡は
蕎麦つゆで曇っている

年が明ける

 (司 茜 詩集『番傘をくるくる』より)

大倉 元さんは、詩の教室で講師をつとめるようになった
司さんの「アッシー君」をやっているうちに、
自分も詩を書くようになったそうです。

大倉さんの出身は、 平家の落人が落ち延びて住んだといわれる、
徳島県の秘境祖谷(いや)。
蔓で作った吊り橋、「かずら橋」で有名なところです。

彼は、故郷を思い、つぎのような詩を書きます。

「石を蹴る」

祖谷の郷は山また山の中

三椏蒸しは在所の人々の共同作業
大勢の家族が集まるので
僕等子供たちには楽しい日だった
三椏は和紙の原料として売れるので
貧しい祖谷の人々の貴重な収入源だ

こんな田舎の上空にも
敵の飛行機が飛んできた
急いで三椏蒸しの釜に水をかけて
火を消した

そんなある日
長兄の戦死の報せが届き
母さんが倒れた

僕は夢中で石を蹴った
夕暮れの祖谷の細い道
三椏を蒸す桶も釜も目に入らず
鳥の羽音も聞こえず
憑かれたように夢中で蹴った
草履の先は破れて
見る見るうちに石は真っ赤になった

足の痛みは感じない
見えなくなると必死に探し
敵の飛行機を蹴るように
また蹴った

あれから
六十数年がたった祖谷の郷
細い道は舗装され
かずら橋行きの
観光バスがひっきりなしに
通り過ぎて行く

 (大倉 元『石を蹴る』)

今、司さんは、詩を書くよりも、教える方に、
力を入れられておられます。
詩を書くことによって、
人の気持ちがほぐれていく姿に感動を覚えられたそうです。

そんなお話を聞いていると、
私たちも、詩を書いてみようかな、
という気になってきました。