第165回 講演会 「江戸の巷談ーPart3」

日時 09年3月21日
場所 市民プラザ(エスパ)3F
講師 佐藤 章 (会員) 

 
 大江戸恋の物語; 心中の結末
1.八百屋お七異説
○通悦 本郷追分の八百屋のお七は丸山火事で焼け出され、駒込吉祥寺で避難生活をしているうち、寺小姓吉三と恋仲になった。
「また家が焼けたら吉三にあえるだろう」と自分の家に放火した。
裁きの場で17歳と言い切ったために、法の通り子塚原で火焙りになった。
○異説 お七の避難先は円乗寺で、旗本小堀家の嫡男左門と恋仲になり、・・・・・・
○もうひとつの異説 お七の避難先は大円寺で事件後寺子屋吉三は出家して西運と名乗り、諸国を行脚してお七の菩提を弔ったとも・・・・・・

2.白子屋お熊事件
 日本橋新材木町の問屋白子屋の正三郎、妻お常、娘お熊は贅沢三昧、お熊は手代の中七と密通、お常にも不義の男がいるとの噂。

3.不倫の代償
 密通して男女共ニ夫殺候ハバ、無粉においてハ無構(御定書百箇条のうち)
間男を するに等しき ふぐの味 (江戸川柳)
 ;間男するのも、ふぐを食うのも命掛け それだけ魅力があったということ。

4.おこよ源三郎
 本所割下水の旗本座光寺源三郎は、吾妻橋の袂で雪駄を直し長五郎に鼻緒をすげ替えさせていたとき、非人小頭喜六の娘と会った。・・・・・

5.茶道宗匠の妾と弟子の心中
 川上不白(江戸千家、不白流の祖)は、多くの大名、旗本、豪商などを弟子に持ち豪奢な生活を送っていた。 妾を左右に添い寝させ、行火か湯たんぽがわりにしていた。

6.心中者の末路
 「公事方御定書」第五十条 
一、男女情死せしは、今より後死骸取り捨つべし。一人存命ならば下手人たるべし。
はた双方とも存命ならんには、三日が間、市に晒して非人の手につけられるべし。
「取り捨て」とは死骸を山谷に放置して鳥や獣の餌にすること 
 ”死に切って 嬉しそうなる 顔二つ”
 元新宿遊郭の側にある成覚寺には「子供合埋碑」と旭地蔵がある。「子供」とは宿場女郎のことで、女郎の死骸は子の寺に投げ込まれた。

 万延元年(1860)新宿の旅籠屋中(女郎屋)が建立した、さすがに気が咎めたので。

7.お花駒太郎
 小石川の旗本大沢主馬の嫡子駒太郎は評判の美少年で妹に松江がいた。松枝のお相手に、出入りの紙屑屋久平は娘お花を差し出した。 お花16歳。駒太郎18歳、園遊会の夜、お花が駒太郎の足に躓いた。・・・・
 翌日お花は二十五両の金と着物を持たされお閑になり実家に戻された。
お花の父久平はお花を吉原に売ってしまった。一方駒太郎はうつ状態になった。・・・
 

 旭地蔵
 寛政12年(1800)から文化10年まで、新宿で不慮の死を遂げた人たちを供養するために建立された。18人の戒名が刻まれているが、うち7組14名は心中とのこと。
 

8.牡丹灯篭
(1)中国明代の怪談小説 箭燈新話のうちから牡丹燈記
(2)怪談牡丹灯篭 三遊亭円朝作
(3)実説牡丹灯篭
 
 旧旗本の弟羽川金三郎は明治になり本所柳橋で木版彫刻師として生計を立てていた。金三郎の住まい横川堀沿いの対岸には浅草の商人飯島某の寮があり、娘お常が肺病の転地療養で滞在したいた。
お常と金三郎は恋仲になり、ひそかに毎夜お常の元に通っていた。寮番に密告されて
本宅に帰されることになり、これを嘆いて横川堀に投身、心中してしまった。
 金三郎は飛び込んだものの立ってみると首までしかないので、そのまま這い上がって家に帰って寝てしまった。その夜のうちにお常の亡霊が現れ「あなた、あんまりです」と
恨み言を言うのだった。
 一方お常は飛び込んだものの。堀の杭にひっかって呻いているところを寮番に助けられた。そしてお常の枕元に毎夜金三郎の亡霊が現れ恨み言を言って悩ました。
 両家とも投身した日を相手の命日として偶然同じお寺で百ケ日の法要を営むことになった。こうしてお寺の廊下で、お常とその一家、金三郎とその一家がめぐり合った。
法要の席が一転して住職を媒酌人にした結納のお席に変わった。