江東区の辰巳湯、同潤会アパートメントを東京市営清澄庭園店舗向住宅にしのぶ

銭湯のあるまちレポートでは、多くの同潤会住宅をめぐりながら、有名な同潤会アパートはこれまで全く触れていませんでした。それはただ1棟を除いてすべてが思い出になってしまったからですが、今回は人気の高かった清砂通アパートの近くにあった辰巳湯へ行ってみました。

辰巳湯をめざして大江戸線、半蔵門線の清澄白河駅から地上へ出ると、まず道路に沿って、レトロでありながらモダンな建物が、ずっと並んでいることに気づきます。清澄庭園の東側にあたります。
清澄庭園の場所はもともと、明治13年頃岩崎弥太郎が作った庭園で、その東端には南北に細長く長屋が建てられていたということです。庭園の管理等で働く方のお住まいだったのでしょうか。しかし大正12年の関東大震災で庭園は壊れ、長屋も焼失し、土地は岩崎家から東京市へ寄付されました。

東京市では、昭和3年、長屋のあった場所に、1階を店舗、2階を住宅とした細長い鉄筋コンクリートの連戸形式の建物を建築しました。これが現在も残る旧「東京市営清澄庭園店舗向住宅」です。(戦後居住者に売却)。
同じ被災者向けの同潤会普通住宅と比べると、RC造でかなり広く、賃貸料はかなり高かったはずなので、長屋で被災した住民の方を対象にしたものなのか、あるいは同潤会アパートのような新しい都会生活をめざしたものなのか、今一つはっきりしません。ただ、この近くにあった清砂通アパートをはじめ上野下住宅を最後に同潤会アパートがすべて消えていく今、事業者は異なるとはいえ、同潤会の理念、デザインをしのぶことができる建物といえるでしょう。

さて辰巳湯はこの住宅が並ぶ幹線道路から少し入ったところにあります。
建物はビルの一階、脱衣場の一角に手水鉢や植物を配した趣のある坪庭があります。脱衣場内部にある庭は珍しいですが、その分脱衣スペースが狭く、声をかけあって服を脱がないと。

一方、浴槽は思いっきり広くて多彩、そのうえ本当に空が見える露天風呂、一番奥には椅子とテレビのある休憩室(裸ではちょっと落ち着かないかも)まであります。壁の絵は多分江戸の川と橋の風景のモザイク画で、これもみごとです。すべてのカランが埋まるほどお客さんが多く、鳶や木場の方が多い場所柄か、しゃきっとした年配の方が多いように感じました。

辰巳湯 江東区三好1−2−3 メトロ、都営清澄白河駅すぐ 月曜日お休み