多文化の卒業生に聞く 〜満岡建一くん〜 <前編>

今月と来月は、多文化共生センター東京(以下「多文化」と表記します)の
子どもプロジェクトの第1期卒業生で、去年大学を卒業した満岡 建一くん
にお話を伺います。(聞き手は栗林さんです。記録係は杉田です。)

——大学ではどんな勉強をしてたんですか?

「国立大学の海洋工学部で船の電機、機械などについて勉強をしていました。
僕の大学では、毎年1回、1ヶ月間も船に乗っていろんなところに行くんです。
僕もいろんなところに行くのが好きだったし、国立大学ということで国が
船の費用も出してくれるので、この大学にしました。
北海道、室蘭、函館、福岡、名古屋、静岡、長崎などいろんな所に行きました。
船の中では、僕は機関科だったので、エンジンルームの実習が多いですが、
船を動かしたり梶をとったりする実習や普通の授業の時間もあります。
朝は早起きで、6時半からやたらと長い体操があるんですよ。
体操のポーズが20個ぐらいあって、毎回2人ずつみんなの前で体操指導を
やるんですが、自分の番の時は超恥ずかしかったですよ。
人前にでるのが苦手です。
その後30分間が掃除の時間で、朝ごはんを食べて午前中の授業を受けます。
そして昼ごはんを食べて、体操をやって、午後の授業を受け、夜ごはんを
食べて夜の授業を受けるという感じでした。
授業のない時間は課題や宿題をやっていて、船のバルブやポンプの名前
(○○弁とか)や船の中の構造を覚えたりしてました。
夜とかで授業のない日はバスケや卓球をして遊んでいました。 
ある時、一緒に乗っていた神戸の大学生や、船会社がフィリピンから
呼び寄せていたフィリピンのエリート(日本で言うと東大レベル)の
留学生たちと船のデッキでバスケをしたこともありました。
デッキにはフェンスとかがないので、時々ボールが海に落ちるんですが、
運動上陸と言って、2日間港に上陸して山登りをする時間があって、
ボールを落とした人が買いに行ってましたよ。」

——大学ではどんなサークルに入ってましたか?

「日本の文化に触れたかったので、大学のサークルでは、弓道を3年間
やってました。
初めから弓を持って矢を打つんじゃなくて、最初は手だけで動きの練習をして、
次にひもを使った練習をするんです。そして、ゴムを使った練習で体の重心が
グラグラしなくなったら、やっと本物の弓で練習ができるんですよ。」 

——「多文化」を知ったのはいつ頃ですか?

「僕は中1の時に日本に来たんですが、中学校に通訳の人が
週1、2回来てくれていました。その通訳の人が
『中学校の近くに週1、2回近くの小学校で日本語を勉強する場所があるよ』
と言って僕やみんなをその小学校に連れて行ってくれました。
その日本語を勉強する集まりの中に『多文化』に通っていた生徒がいて、
その生徒に『多文化』を紹介してもらいました。
その時、僕はすでに高校が決まっていたので、受験とは関係なく、
日本語を勉強するために『多文化』に来ていました。」

——高校受験はどうでしたか?

「国語以外は授業の成績がよく、ほぼ4だったので、推薦で入れました。
国語だけは3でしたね。いつも問題文を見ただけで、
『この問題は、おれじゃあ解けないだろう』と思ってました。」

——得意教科は?

「数学です。日本に来てからは親と離れて寮に住んでいて、
寮の職員は大卒以上の人が多くて、みんな中学校の勉強ぐらいなら
教えてくれたんです。」

——高校受験の面接はどうでした?

「緊張しました。練習では『ドアをノックしてから部屋に入ること』と
教わっていたのに、本番では高校の先生がドアを開けてくれたんですよ。
すごくびっくりしました。
中学校では校長先生と練習していましたが、初めての面接だったから
予想外の出来事が起こって困りました。
面接以外でも作文の練習をして、文章の形(タイトル、名前などの書式)や
敬語の『ですます』などを勉強しました。」

——『多文化』ではどんなことをしてたんですか?

「ゲームをやりながら日本語の勉強をしていました。
単語を覚えるゲームなど、ボランティアのみなさんが考えてくれるんです。
『多文化』では、いろんな友達ができました。
今でもその当時のボランティアの人と時々会って、
ごはんを食べたりしています。」 

——『多文化』にはいつまで来てたんですか?

「高2まで『多文化』に来てましたが、部活で忙しくなったので
それ以降は行ってませんでした。」

——大学受験はどうでしたか?

「大学受験も推薦でした。高校でたくさん勉強しましたよ。
高3から予備校にも行きましたし。」

——『多文化』にはいつ頃戻って来たんですか?

「去年(大学4年生)の6月頃ですね。
単位も取れていたし、就職活動も終わってたので暇だったし、
『後輩に教えられたらいいな』と思って来ました。
昔みたいに遊びながら日本語の勉強をやるかと思ったら、
ずいぶん本格的になっていて、場所も広くなって昔と変わっていましたね。」

・来月は、「『多文化』で教えてみてどう感じたか」などのインタビューを
掲載します。お楽しみに!