文化芸術の公共性

私は「まちとアート」をテーマに、この数年、主に宮城県東鳴子の温泉の方々、千葉県船橋市本町通り商店街と地域のNPOのみなさん、北海道岩見沢市の中心市街地のみなさん、宮城県塩竈市本町通りまちづくり研究会のみなさんなどと、アートを通したある種「まちづくり」的な取り組みを継続的に行っています。
 こうした中で実感しているのは、芸術文化はすでに単なるものづくりや、芸術家個人の営みという次元を超えて動き始めているということです。
地域には顕在化しているもの/いないもの含め、様々な問題が存在しています。これらに即効性のある「解答」を出していくのも大切なことですが、しかしそうしたアプローチだけでは確実に社会のニーズには対応しきれませんし、重要な何かを切り捨ててしまうことになってしまうと思います。これを補完し、あるいは本来的な意味での「回答」を与える別のアプローチを提示しつつあるのが、文化芸術だと実感をもって考えています。

宮城県東鳴子温泉は、かつては湯治場として栄え、平成までは旅行ブームにも支えられてたいへん繁盛した地域ですが、今その面影はありません。この2〜3年で14軒あった旅館のうち2軒が廃業、商店も同様です。こうした中、旅館や商店の若旦那たちが中心となり、何とかまちを盛り上げようと立ち上がりました。
地域の役所をはじめどこへ行っても金銭的援助どころか何をどうすればいいかのヒントすら与えてくれず、困った彼らは、自分たちで湯治ツアーを企画したり、地域の行進曲を作曲家に依頼してパレードを行ったり、とにかく手当たりしだいにがんばりました。
その結果、出合ったのが芸術文化であり、しかしそれによって今、まちがひとつになりつつあります。何より大きかったのは、芸術文化を通して同じようにまちを盛り上げようとしている全国のグループとのネットワークです。これにはアサヒビール芸術文化財団が主催する「アサヒ・アート・フェスティバル」の存在が大きく、明確な「解答」を求めるのでなく、その土地にあった営みを掘り下げていくことの大切さ、そしてそうした営みを行っている全国の「同志」とも言える人々の存在がまちを勇気づけています。

千葉県船橋市本町通り商店街はかつて商業のまちとして栄え、現在の当主たちも商店からの収入以外にも収入源を持つなどして、地方の商店街のような危機的状況にはありません。しかしだから問題がないのではなく、逆にそれが問題となっているように見受けられます。
極端に安い価格で競争をしいるディスカウントショップや定期的な改装・建て替えで常に流行を提供するショッピング・モールに対し、商店街にかつてのにぎわいが戻ることはなく、彼らのこだわりが新規住民の目にふれる機会はほとんどありません。
こうした中で彼らが考えたのは、地域のNPOと連携したまちの新しいお祭りづくりでした。そして今、アートの視点から新たな展開が生まれています。
宝さがし的に各商店のこだわりの逸品を探して回るツアーやセレクトショップの実施、ワークショップがアーティストから提案され、商店街といっしょに企画・運営を行っています。これは従来型の文化芸術とは一緒くたにはできない形態のものだと思われます。しかしそれは確実に経済的視点など他の視点からは出て来そうにもない、いわば「ダメっぽい」アイデアから発展してきたものなのです。

北海道岩見沢市は交通の要衝として栄え、今も北海道内で米の生産一位を誇るなど、農業の盛んな土地です。が、札幌圏内でもあることから若者は札幌へ流れ、市中心部は空洞化しています。こうした状況に何とか自分にできることはないかと立ち上がった20代の女性がいます。彼女は当時、会社員だったそうですが、勤めをやめ、芸術系の出身だったことから、文化芸術でできることはないかと空き店舗を市の助成金で借り、市内にある教育大美術科の子と商店主をマッチングしてシャッターに絵を描かせたり、今年はアート・プロジェクトとして市内各所を展示会場に作品展示を行うとともに、市最大のお祭りにアートみこしを出すなどして、地域とつながりのない若者の目を、文化芸術を使って地域に向ける取り組みを行っています。
ここで使われる文化芸術は、見る/見られるという関係性を想定したようなものではとうていその役割を全うすることはできません。ともに体験を共有できるような、新しい文化芸術のあり方が、こうした場所で生まれつつあります。

このように、文化芸術はすでに閉じられた個人の趣味的世界の話、つまり「おそらく大切なんだろうが、とりあえず私には関係のないもの」ではないのです。誰しもがそうした「何でもあり」の視点から切り込んでいかなくては、わかりにくい社会問題をかぎあて、考えていくすべを手にいれることは難しいと思います。逆に芸術文化に対しては、それはいったい社会にとってどういう意味があるのかを問いかけていくことが必要であり、芸術家はそれに対して常に向き当っていくことが必要だと思います。
こうして我々が手にいれつつある文化芸術のあり方を評価し、日本独自の新しい文化芸術のあり方を提示していくことが、今最も必要なことだと思います。。。

門脇篤