櫻ヶ岡中学校の中平です。今までの自分の授業を振り返る機会となった戸倉上山田中学校の研究授業(長野県美術教育研究大会更埴大会)。そこには、自分で目標を決め、試行錯誤する生徒の姿がありました。全ての生徒が何かやりたいことをもって、どうやったら実現するのかと模索しています。それは、はいまわっているのではなく、思索、挑戦している姿だったように思います。その姿を見て、いろいろな先生方は「中学生がこんなに活動していて感動した」という感想を寄せてくださっています。でも、これは、特別なことではないのではないかと思うのです。つまり、戸倉上山田中学校の生徒はもともと、こういうような活動ができる生徒だからできたということではないということです。
もともと、中学生が、自分で目標を決めて、試行錯誤していく力を持っているということなのです。また、自分なりの表現をすることを面白いことであると、中学生は感じることができるということなのです。その力を身につけた、というよりも、もともと持っている力を3年間で発掘したといえるかもしれません。
それは、櫻ヶ岡中学校の生徒も同じです。特別なことではなく、生徒に任せてみれば中学生は結構やってしまうのです。
今まで私たち美術教師は、生徒はより見栄えの良い作品ができることが満足感を持つのではないか、という仮説のもと、生徒にアドバイスをし、技能を教えてきました。しかhし、それは、ある面教師の「多分これなら本人は満足だろう」という思い込みもあったのではないでしょうか。しかし、本当は、中学生は自分のやりたいこと(主題)をやれば、さほど見栄えは良くなくてもその過程に満足するのではないかと思うのです。なぜ、戸倉上山田中学校の卒業制作が、個々それぞれ自分の思い(主題)を持ちながら活動できたのか、その理由は、自分でやりたいことをやっているからなのです。教師がやりたいことを教えてあげなくても、生徒はやりたいことをはじめから持っている。それを教師が生徒にゆだねることができるかどうか。
それを再確認させてくれる、研究授業だったと思います。