昨年末、あの世に旅立った、叔父(父の兄)の家
「母屋」にある、膨大な大橋家の写真を
いくつかチョイスして、デジタル化し、永久保存しよう(%笑う女%)(%笑う男%)って
私の兄と思いつきまして、今日その作業をさせて頂きました。
右の写真は、私の幼少の頃の写真(%ニヤ女%)(%ハート%)
顔が半分切れている兄に、頭、押さえられてます。
この頃は、純でカワイカッタのになぁ〜(笑)。
先祖代々、八尾の老原村で続く、大橋家の母屋には、
私が産まれるずっと前からの写真もあります。
右の写真は、私の父が産まれる前の写真・・・
つまり戦中戦前のものです。
右の写真は、もう一人の叔父が、叔母と結婚する際の
嫁入り道具を搬入する時の写真です。
2枚に写っている車には「大橋農園」と書かれています。
祖父の時代、「おいしょう」(恐らく「老庄」。老原村の「老」と、
庄太郎という祖父の名前の「庄」)という名前の八百屋さんを
大阪の天神橋筋商店街で経営しながら、農家をしていたんだそうです。
(農家だけでは食べていけないので、そうしたそうです。)
ついでに、そのまた上の世代・私のひいおじいちゃんの世代は、
当時、交通量の多い、奈良街道沿いに家がある関係で、
ひいおばあちゃんが、食堂を経営していたそうです。
その関係で、そのひいおばあちゃんが、母屋の神棚に、
お稲荷さんを祀ったんだそうで、それがまだ現存しています。
このひいおばあちゃんのお話は、叔父が亡くなる直前、昨年末、
病院で教えて頂きました。
祖父と祖母のツーショット写真を発見(%笑う女%)→
祖父は、父が大学生の時、ぽっくりあの世に
行ってしまったそうで、一度もお会いした事はないですが、
祖母は、私が高校1年生の時まで、生きておられました。
この父方の祖母が、生前、四国お遍路をバスで、2周まわったそうです。
私は現在、2周目の途中で、また今年も続きを回ろうと考えています。
『隔世遺伝』とは、正にこういうことを言うんですね。
(両親・生きている親族全員はそんなこと、全然興味ないんですが・・・笑)。
日頃の忙しない、日常生活の中で、
自分が産まれるずっと前の、『私の命の軌跡』を
ふりかえる事なんて、殆どありませんが、
祝日のちょっとした時間の隙間で、こうして写真という形で
振り返られたのは、とても貴重な時間でした。
これからも、その命の絆を忘れずに、感謝しながら
生きていきたいです。