思い込み捨て本当の「個」培おう ゆがんだものさし捨てしなやかに
戦争も内戦もない。
世界を見渡せば私たちは決して不幸せではないのだろう
日本人の「幸福度」は178国中90位との調査もある
(2006年、英レスター大)
いったい私達の考える幸福とは?
先ごろ「不幸な国の幸福論」(集英社新書)を出版した作家の
加賀乙彦さん(80)に聞いた
——なぜ、今幸福論なのでしょう?
一昨年6月、東京・秋葉原で20大の青年による無差別殺傷事件が起きました
青年は転々と派遣労働をしていたことから
「格差社会が生んだ犯罪」とも言われました
だが、実は彼が抱いた劣等感や不遇感は私達の誰もが日常感じているもの
事件の背景にはこの国自体が幸福を遠ざける不幸の増幅装置となっており
私達の多くがその一部として役割を果たすようになっているのでは、と考えたのです
——具体的に言うと?
私達の周りには「勝ち組」「負け組み」など人間をランク分けする言葉があふれています
秋葉原事件を起こした青年も携帯電話のサイトに自分を「負け組」と書き込んだ
自らマイナスのレッテルを貼る行為は他人から張られる以上に
心を深いところで傷つけます
そうした価値観を今の日本はいつのまにか受け入れてしまっている
ライバルの方が出世が早い,自分の子より親類の子の方が
偏差値の高い大学に行っている
といったことがあるたび、彼らの幸福感は損なわれ「ゴール」にたどりつけない
——では、どうすれば?
幸福というのは定義できないものだと思います
何を幸せと感じ、不幸と感じるかは人により状況によって異なる
「こうでなければ幸せになれない」という思い込みは捨てるべきです
日本人は江戸時代以来集団の輪を壊すことを恐れ
自分が他人にどう見られているかを常に気にしながら生きてきました
その傾向は強く残っている
「KY」という言葉の流行もそうした状況を表しています
人の目を過剰に意識することは自分の評価を他人に委ねてしまう事につながる
そしてそういう人ほどちょっとしたことで傷つきやすいのです
ピンチに陥った時「他人がどう思うと自分は自分だ」と思えるかどうか
そのためには本当の意味での「個」を育てておく必要がある
そしてこのような「個」は自分の頭で考え抜き、他人と意見をぶつけ合いながら
人間関係を培っていくなかでしか育ち得ないのです
——難しそうですね
でも始めなくてはいけない。徳川幕府の治世以来日本人の多くは
「お上のいうことだから」「どうせ変わらないから」との理由で社会のあり方や
国の未来像を考えることなく、ただ流されてきた気がします
多くの人が何の疑問を抱くことなく世間のいう『幸福行き』の列車に乗りたいと思い
そのレールから外れたら不幸になると自らや子どもたちを駆り立てました
そして子どもたちから考える力や生きる力が奪われてしまったのです
日本青少年研究所が08年に行った調査で
『自分をダメな人間と思うか』という問いに対し
中学生の56%、高校生の66%が『とてもそう思う』『まあそう思う』と答えている
幼い頃からゆがんだ画一的なものさしで他者や自分を測るよう
習慣づけされてきた結果です
こんな国が幸せであるはずがない
まず親にあたる、あるいはこれから親になるであろう世代が
自分を不幸と決め付けず
身の回りにある小さな幸せに目を向けていくこと
挫折も幸福になるための要件だと考えること
しなやかな精神にこそ幸福の源泉はあるのだと思います
・・・・・・すごく長い引用になりましたが、柔らかい言葉の中に無駄はなく
心にストンと落ちるものがありました・・・・・・
<カトレアはすごく華やかですね>