多文化のスタッフに聞く 〜岡 美織さん〜 <前編>

今月と来月は、『多文化(多文化共生センター東京)』の事務局で働いている
岡 美織(みおり)さんにお話を伺います。(聞き手は杉田です。)

——大学の頃からNPOで働こうと思っていたんですか?

「いえ、大学の頃はラクロス部とバックパッキングに熱中してました(笑)。
大学は法学部だったのですが、もともと国際協力に興味があってゼミは
経済学部の『開発経済学・国際貿易論』ゼミに入り、ナイジェリアの
債務問題や児童労働について研究をしました。
卒業後しばらく日本銀行で海外広報の仕事をしていましたが、3年で転職、
NPO難民を助ける会(※『さぽうと21』の姉妹団体)に移りました。
難民を助ける会ではアフガニスタンの『地雷回避教育』プログラムを担当。
いかに現地の子どもたちに『伝わる』プログラムをつくるか、現地スタッフの
安全を確保しながら遠隔地まで支援を行き届かせるか、考えました。
仕事は充実していたのですが、受益者(アフガニスタンの子ども)が
そばにいないため、現場の事情がよく見えないという悩みがありました。
アフガニスタン駐在を考えたこともありましたが、まずは『良いプログラムを
組めるよう子どもの教育と心理について学びたい』と思い、アメリカ留学を
決めました。」

——アメリカでは何の勉強をしていたんですか?

「国際協力と並んで昔から興味のあった『子どもの教育とメンタルヘルス』の
勉強をしました。教育学の修士号取得と同時にスクールカウンセラー・
ソーシャルワーカーの免許が取れるハーバードのプログラムを選びました。
このプログラムは週20時間の実習が義務付けられており、1年目は高校、
2年目は中学校でスクールカウンセラー・ソーシャルワーカーとして
実習をしました。
その時初めて子どもと直に接する仕事をしたのですが、目からうろこでした。
受け持った子どもの過半数がドミニカ共和国やハイチ、カンボジアからの
移民の子で児童養護施設から通う子や少年院の入出所を繰り返す子も多く、
アメリカの社会福祉制度や少年裁判制度の限界も痛感しました。」

——実習はどうでしたか?

「子どもたちはみんな育ってきた環境が違います。
中には性的虐待を受けた子やギャング闘争に巻き込まれ家族を失った子、
薬漬けの親を持った子など、トラウマを抱えた子もたくさんいます。
それが彼らの『日常』なのです。
でもどんなに大変な環境で育った子でも、みな希望、そして自分の人生を
変える『力』を持っていました。
本人がそのことに気づいていない場合が多かったですが。
そういった子どもの強さ、『成長する力』をいかに見出し本人に自覚させるか。
子ども一人一人といかに向き合うかしっかり考えなければいけないですし、
それぞれの子に対する学校としての役割、私個人としての役割を分けて
考えることも重要でした。
『カウンセラー』というと『悩みを聞いてアドバイスをくれる人』と
思う方もいるかもしれませんが、私にとって『カウンセラー』とは
『話を(本気で)聞いて一緒に考える人』です。
例えば何らかの事情で親(家庭)が子どものサポートをしきれない時、
子どもが自ら情報を集め『自分のためになる情報』を見分けるのは
難しいことです。
そこで私たち(スクールカウンセラーやソーシャルワーカー)が大人の持つ
ネットワークを生かし情報を提供することができれば、様々な選択肢を示し、
各選択肢について子どもと一緒に考えることができます。
私と全く違う環境で育った子どもとやりとりを続けていく中、
新しいものの見方や感情表現のあり方に多々出会いました。
それが私にとって『カウンセリング』の醍醐味でしたね。」

——大学院が終わった後は日本とアメリカのどちらで働いたんですか?

「大学院卒業後は1年間アメリカの小学校で先生をしていました。
アメリカは州によっては教員免許取得前でも数年間私立校、チャータースクールで教えることができるのです。
1年間の教員生活の後、2009年8月にアメリカから帰国。
日本で何をしたいかはっきりと分かっていませんでしたが、
『子どもと関わる仕事をしたい』というのは分かっていました。
その中でも移民の子や家族と引き離されている子、少年裁判と関わりの
ある子に興味がありました。
ただ日本社会の状況をあまりにも知らなすぎたので、とりあえずは現場を
見なければと思い、まずは『移民の子ども』に焦点をあてることにしました。
そして豊橋、豊田、神戸など外国人児童の多い地域を1ヶ月放浪しました。」 

——放浪というのは、どういうふうに?

「豊田市の日系ブラジル人が多い地域や神戸市のベトナム難民が多い地域を
歩き回り、地元の小中高校やNPO、市役所を訪問して話を聞きました。
各地に知り合いがいるわけではないので、団体の電話番号をインターネットで
調べて『明日伺ってもいいですか?』とはた迷惑な体当たり訪問でした。
ただ、幸運なことに断られることはまずなく、大勢の方に貴重なお話を
いただきました。
小学校や中学校を訪問すると授業を担当していない教頭先生や校長先生が
お話してくれることが多く、外国人生徒の様子のみならず、学校の
『経営陣』がどのような考えを持っているのか、将来に向けてどのような
ビジョンを抱いているのか(もしくは抱いていないのか)、
時には2時間を超え聞かせていただくことが出来ました。
そして訪問を繰り返すうちに外国人青年の教育サポートが足りないこと、
サポート以前に日本国民でない場合義務教育さえ保障されていないことを
知りました。
このような子どもたちをサポートしている団体がないか各地で探しましたが、
それも非常に少ないことが分かりました。」

・次回はいよいよ「『多文化』で働くことになったいきさつ」や「『多文化』で
実際に働いてみて感じたこと」などのインタビューを掲載します。お楽しみに!