「将来、美術の授業が中学校からなくなってしまうかもしれない」
こういった話はずっと前から聞かれます。しかし、あまりこういった状況が世の中に伝わっていないのも事実でしょう。3年間で115時間しか授業時数はありません。これは必修授業として中学生に教育的な価値を残すためには、無理な時数であることも事実です。
それで、「美術の授業がんばくなってしまうかもしれない」という話ですが、私は、「中学校には、すでに美術はなくなっているんじゃないか」と考えています。つまり、授業の中で「美術」を扱っているのか、美術の先生は「美術の先生」として存在しているのか、もしかすると、今現在、美術の授業はあっても、本質的な美術の授業をしておらず、表面的な「美術っぽいこと」をしている授業なのではないか、美術の先生は、学校の中では美術の先生と呼ばれているが、美術の本質的な部分を生徒や地域に伝えようとしていない存在であるなら、すでにその学校には美術も美術の先生も存在していないことになるんじゃないか。と、そう考えるのです。
「美術は人の心のなかにある」という言葉を聞いたことがあります。ならば、なおさら形を持たない「美術」というものに、我々美術教師は形を与え、ドラマを与えて、中学生や地域に伝えていくことが大切なのではないでしょうか。