第3節 まとめ
以上、見てきた通り、言語の普及には様々な効用が期待できるが、現実の言語普及政策は文化外交・交流の中の一部門と位置づけられることが多い 。これは一つに、言語とは文化そのものであること。二つに、外交の性質が、現実的な国益を追求する場であると同時に近年においては国際法の視点を重視し相互益・国際益も求められている点が、言語普及政策の性質と似ていること。以上二点から鑑みれば、双方の親和性は高く納得できる。
文化外交とは何か。文化外交の推進に関する懇談会報告書「『文化交流の平和国家』日本の創造を」 によると、「自国についての理解促進とイメージの向上」「紛争回避のための異なる文化間、文明間の相互理解と信頼の涵養」「全人類に共通の価値や理念の育成に向けての貢献」の目的を追求するものとなっている。また、長くなるが同報告書の文化外交の意味を引用したい。「政治・安全保障や経済活動といった問題に対しても、適切な文化交流が伴わないと、その効果が十分に得られないことがある。〜中略〜様々なレベルでの文化交流を通して、日本理解を推進することこそ、政治・安全保障、対外経済関係、経済協力といった外交課題に取り組んでいくための効果的かつ現実的な外交手段である」。以上のように、文化政策は、重要な外交ツールとなるのである。
では、何故文化外交そしてその手段として言語普及政策をしなければならいのか。それは、日本の力に見合った文化外交をすることで日本を理解してもらい、ひいては相手国を理解することで各国とのつながりを強くし国際的孤立を避ける必要、同じく日本の力に見合った貢献として国際公共財を提供し、世界での役割を果たす必要があるからである。
日本を含めた諸外国の文化交流機関の源流は、1920年代以降の国際情勢の中で、ファッショ勢力の台頭に伴い顕在化した という古い歴史を有する。この例を持ち出しまでも無く、諸外国は、当初国益の立場からの文化政策、その手段である言語普及政策を通じて、世界におけるプレゼンスの確保に努めていた。近年でも、自国の言語や文化を海外に広め、政治・安全保障・経済などハードの影響を補完する「ソフトパワー」を強めようとする取り組みは、「パブリック・ディプロマシー(広報外交)」と呼ばれて再定義され、各国で具体的施策の検討が盛んになりつつある。現代においては、国益だけでなく、相互益・国際益も加味されるが、それでも国としての重視している地域に、その文化外交及び言語普及政策の力点が置かれる傾向が現れる 。日本の場合も国際交流基金の地域別・国別事業実績額の割合を見れば、どの地域を重視しているか理解できる 。
問題は、日本の政策如何に関わらず、諸外国はそのような動きをしていることである。特に2004年から始まった世界に広がる「孔子学院」の設立に象徴される中国政府の動きは活発である 。更にアジアでは近年韓国も「世宗学堂」が韓国語の普及に力を入れだした 。もし、日本だけ何の対応もしなければどうなるのだろうか。相対的に日本の理解者が減少することになり、各国との結びつきも弱くなる。政治・経済を補完する外交ツールが弱くなるのだから、結果として日本のプレゼンスの低下となって現れてくることが予想される。
また、前述の通り、言語普及政策は、その公共財としての領域を拡大している。自国にとっての経済的・政治的効用のみでなく、相互理解を通して双方にとっての望ましい関係を構築する役割もある。繰り返しになるが、日本以外の国もこのような活動を行い、相互理解による国際社会の中で関係強化に努めている。日本がこの活動に遅れをとることは何を意味するのか。1980年代に起こった“日本異質論”に見られるように国際社会のなかで孤立現象は、経済力・政治力のみ突出し、それに見合った文化外交を展開しなかった結果に他ならない。更には、先進国としての国際社会にどのような貢献をするかが問われる立場である。単に日本のためではなく、現在世界で約300万人いる日本語学習者にどのようなことができるか提示する責任があることも忘れてはならない。
従って日本は言語政策を国益、相互益、国際益の増進のために有効に機能させ、アジア諸国との相互連携に乗り遅れることなく、アジアの地域でそのプレゼンスの確保及び相互の結びつき強化に努める必要がある。また、世界への貢献を果たすため、日本語学習の機会を国際公共財の提供という位置づけにしなければならない。その政策の実行は比較優位を保っている現状、すなわち早ければ早いほど効果があがるだろう。再びアジアの孤児と言われてからでは遅いのである。