《高学年(4〜6年)造形クラス》
今年度の高学年は、「日本」がテ−マです。「やっぱり日本て、すごいなあ」と感じてもらえるような授業にしていくのを一つの目標として進めています。
4月から5月と2回にかけて、「氷河期」を舞台とした制作を行いました。
アフリカの最初の家族から、人類は壮大な旅を続け、ある時、その一派は日本へとたどり着いた、と言われています。この地で生活を始めた人びとは一体どんな環境の中で暮らしていたのでしょうか。子供たちに目を閉じてもらって、想像力を高めていきます。
「頬を突き刺すような冷たい風が吹き荒れています。吹雪で辺りは真っ白。僕たちの体や頭は温かい動物の毛皮で覆われています。それでも、あまりの寒さに体は硬く縮こまっています。・・・・
吹雪が止むと、辺りの白い空気はゆっくりと薄まり、視界が少しづつ開けてきました。すると、前方に高い山が姿を現してきました。頂は真っ白な雪が積もり、麓には暗い森が一面に広がっています。まっすぐに立った樹が密集したその森は、しんと静まり返っています。・・・・・・
ずしっ、ずしっ、と雪を踏みしめる音が、静かな森に響き渡ります。森の前を、のっそり、のっそりと動くものがあります。全身が毛に覆われ、長く反り上がった牙を前に揺らしながら、ゆっくりと進んでいきます。それに気付いた僕たちは、さっと身をかがめました。心臓がドキドキし、緊張が走ります・・・・。」
この時代の日本の森は、針葉樹がその多くを占めていました。それは厳しい寒さに耐えているかのような直立し、収縮した姿として立っています。それは植物だけでなく、動物や人間も同じでした。寒い中で、自らの身を縮こませていました。私は、この時代を、「厳しさの中で頑張って生きている姿」をテ−マとして取り上げ、それが色彩の響きとして、子供たちの中で感じられるように工夫してみました。3年生以上になってくると、本当の姿のような具象的な形と色で表わしたいという気持ちが高まってきます。でも、そこに制作の焦点を集中させてしまうと、表面的な絵になってしまい、本来の内的な意味が失われてしまうことがあります。テ−マの本質、色彩の内的響きをないがしろにせずに、実際のものの表面に見える色も大事にしていく、という難しい両者の狭間で、制作活動を展開しています。
制作を2回に分けることによって、子供たちの制作への態度が深まり、絵の中のそれぞれの個性の表出も高まってきています。長い時間の中、時に集中力が途切れることもありますが、皆頑張って素晴らしい絵を描いてくれました。
6月から7月は、「氷河期が過ぎ温暖化していく日本列島」が舞台です。この時期、多くの針葉樹は北上し、本州の多くの地域では、ブナやクヌギ、トチの樹などの落葉広葉樹の森が広がりを見せ始めます。氷河期と比べれば、森の様相は一変します。暖かい大気に包まれて、木々は枝を大きく、柔らかく周囲へと広げ、その腕の先には実をつけ始めます。実をつけることは直接的には自分たちの利益にはなりません。動物たちとの共生において初めて自分たちの生命も保証されるわけです。一生けん命自分の身を守るために樹脂をためながら、たくさんの葉をつけていた針葉樹とは、大分異なります。この変化に、宇宙のどのような意志が働いているのでしょうか。単なる偶然なのでしょうか。自然を前にしたとき、その奥深い宇宙の意志に、深く感動する時があります。
そんな森の中で生活していた縄文人たちは、森の恵みであるドングリを煮炊きして食べていたと言われています。彼らは、風、川、樹、そして様々な生き物たちなど、森のあらゆる存在の背後に神々が宿っていることを実感していたと言われています。それらに感謝しつつ、食のため動植物をとる時、「(命を)いただきます」という感情が彼らの心の中にあったのでしょう。
子供たちに考えてもらいました。
『森のあらゆるものに神様の存在を感じ、大切にしていた縄文人たちだが、そんな中でも、とくにある存在には特別な思いがあったと言われています。それに出会ったとき、彼らは「大きな神様」に会ったと、大いなる尊敬を示した。それはどんな姿をした神様なのでしょうか?』
この質問には子供たちからいろんな答えが返ってきました。ヒントは、『森の奥深くに住んでいて、大きい神だけど大きいとは限らない。』・・・・・・
その動物は、森の生態系の頂に存在する、数少ない生き物です。今となっては日本を含む世界の多くの地域で絶滅したと言われていますが、それにより鹿やイノシシなどが増え、森が枯れるという問題も起きています。昔から多くの地域で神、または神の使いとして尊敬を受けてきたオオカミは、動物と精神性を切り離した今日の合理主義的価値観においても、森の生態系を担う重要な存在であり、決して無視できないものです。昔の人は、そんなことをも感覚的に感じとっていたのでしょうか。
( 造形クラス担当; 細井 信宏 )