12月23日、TBS系『ニュース23』で全国放送されていた
鹿児島県鹿屋市串良町上小原・柳谷地区(通称:やねだん)に
行って来ましたレポートをこの大晦日に書いて
今年の『よしこちゃんの部屋』の締めくくりにしたいと思います。
「やねだん」の村おこしの立役者であります、
地元出身の豊島哲郎さん(現在70歳くらい)は、
地元高校を卒業後、上京し、東京都民銀行に入社。
昭和46年、Uターンして地元に帰って来て、
うなぎ養殖を始められ、今は閉店されてますが
現在は、うなぎエキスを使った健康食品を製造販売されてはる
会社の代表者さんです。
そんな豊島さん。昭和54年・55歳の時、満場一致で、
「串良町上小原校区公民館長」になられます(平成9年3月まで)。
その地区は、写真げすぐ分かるかと思いますが、
日本のどこにでもある“田舎”。
少子高齢化、全てにおいて衰退の一途を辿っていた村です・・・
豊島さんが改革されるまでは。。。
「行政に“おんぶにだっこ”では、
いつまで経っても、人も集落も育たない。」
そう悟られた豊島さんは以後、
「俺がやらなきゃ、誰がやる。」と、
現在に至るまで、我欲を捨て、リーダーシップを発揮され
衰退していく自分のふるさとの改革をされていかれます。
豊島さん曰く、「リーダーとして必要な要素」
①役職をタイミングを後継者に譲る勇気があるか。
②かねてから真剣に真心もって後継者に心を寄せているか。
③名誉や物に対して無欲であるか。
④夢を託されているだけの創造力・企画力があるか。
⑤率先垂範、すなわち行動力があるか。
この村おこしの前、昭和46年〜平成2年まで
豊島さんは、母校である上小原中学校の男子バレーボールチームの
鬼コーチ&監督をされておられました。
「俺について来い」と、上記の要素から外れず、
学生の奇跡(おのおのの個性の可能性)を信じて、
訓練の日々を続けておられました。
そんな20年間で、基本を“信頼”に置く、
「ほめられて成長、認められて感動」の“教育”の重要性を
ひしひしと実感されました。
今は、まだお元気なので、村おこしの後継者づくりは
まだ完成されておられない感じですが、
そのご経験から、徐々に若きリーダーを
育んでおられているそうです。
平成10年、村の中心部に、この先、活動拠点になる
「わくわく運動遊園」(広さ20アール)を完成させます。
村人約300人から、人手と材料を集めまくり
たったの8万円で完成させられます。
(実際業者に頼むと300万円くらいするそうです)
この広場、今でもゴミ箱がなく、ゴミ一つ
落ちてないそうです。
自分たちが汗水流した場所を汚す人なんで、
誰もいない訳です。
ほんと、こんなみんなで作った場所が
この村にはたくさんあって、村全体が、村人の“庭”のようでした。
また、このようなお金のかかる整備事業は、
コストを削減できただけでなく
「村人全員で立ち向かう時に生まれる、結束力と、
達成した時の感動を共有することによって、
みんなで村をよくしていこう!と思うことが出来る仕掛け」
なんだそうです。まさに、一石二鳥ですね!
この後も、
「生きた福祉、感動の地域おこし」
「行政の補助金に頼らない」村おこしを展開。
ある時、村の高校生たちは、大リーガー・イチロー
が好きだということが豊島さんの耳に入り、
「じゃー、東京ドームにイチローに会いに行こう!」と
おっしゃりました。
その資金は、行政の補助金(町会費)ではなく
「自分たちで稼ぐぞ!」と、
村の人から、休耕田を無料で借り、さらに無料で
余ったさつまいもの苗を貰い、
植える作業から、雑草抜き、収穫、販売まで一手に
高校生中心に展開させたそうです。
結局、東京まで行くお金は稼げなかったけど、
福岡までは行けるお金が稼げ、
福岡ドームで、イチローを応援されたそうです!
この村でも、一時、中学校は荒れていたそうです。
そんな状況を何とかしたい。
この村から落ちこぼれを出したくない・・・。
それで、おはよう声かけ運動(登校の際、子どもたちに
「おはよう」と声を掛ける運動)や、
公民館を現代の“寺小屋”として復活させ、
元・学校の先生を町会費で雇い、
学校の勉強が分からない子どもたちを集め、
マンツーマンで教える活動もされました。
そこではやがて、年上の子どもが年下の子どもに
勉強を教えるのが普通になっていきました。
このような感じで、自然と、人と人の心が
繋がって連帯していく仕組みが出来上がってきました。
更に、よりよい村をつくるために
もっと資金が欲しいということになり、
竹の額縁や、プライベート(PB)商品である
さといも焼酎(芋焼酎『やねだん』)などを創られました。
これら全部、村にある物・人によって創られています。
ここまで来れば、「ベンチャー企業」ならぬ
「ベンチャー集落」(アッパレ☆)!
一方、ここの村民の4人に1人は、畜産業を
営なわれています。
そのため、風向きによってはいつも
動物の糞の臭いがする村でした。
それを何とかせなば・・・ということになり、
“土着菌”に目をつけられます。
糞と土着菌を混ぜると、臭いがなくなるばかりか
畑の肥糧にもなります。
更に、それらが混ざり合い、発酵しはじめると熱が出ます。
その熱を利用し、足湯も作られました。
足をあっためることによって、血流が良くなり、
村人の健康状態もよくなるということです。
まさに、一石三鳥!!!
豊島さん曰く・・・
「ひらめき」とは動くことである。
「動く」とは、「体が動く」=即行動・汗すること、
「脳が動く」=柔軟な思考力、
「頭が動く」=融通性、
「心が動く」=やる気の魂。
やってやれないことはない。
・・・な、なるほど。。。
つまり、「まず動け!」「行動・実践しろ!」
ということやな。。。
よし。よしこちゃん2011年は
これを大切にしよう。
ウンチクたらし、理屈コネコネ、何も行動せんと
「私、出来ません!」これは止めよう。
また、そんな大人たちに足ひっぱられず、
器用に避けて、気にしないで、反面教師で
人生の王道を歩んで行こう。
また、豊島氏曰く・・・
「個」を捨て、「公」に繋がることが、私の役目です。
つまり我を捨てることですね。
組織のトップであればある程、これをしないといけない訳です。
だけどこれまた社長になって、高級車乗り回したり
なんでもかんでも部下や他人のせいにしている社長も
意外と多いんです。そんな社長のまわりにいる人たちが哀れで、
しかも本人にとっても、究極に哀れです。
それは、幸せに酔っているだけです。
私も、これが今の人生のテーマなんです。
人としての幸せの最も崇高な状態は、
社長になるとか、金持ちになるとか
六本木ヒルズに住むとかではないことなんですよね。
最も崇高なのは、人に愛されること、認められることなんですよね。
まずそれから始まって、後でお金とか名誉とかが
自然にくっついて来るもんやと思います。
私は、物心ついた時から、
「将来は○○になりたい」とか考え、探してきました。
ニュース23で、やねだんのこと、豊島さんのことを知って
「私の目指す道はこれやったんや」と
ビビビっ☆と来た感じです。
人生33年。両親をはじめ、いろんな人を見てきまして
「こんな人になりたい」と思う人は何人かおられましたが
豊島さんほど、ピッタリ来る人はいませんでした。
だけど、豊島さんを知って、
私はこんな生き方がしたかったんや!と
人生の師匠に出会った気分です。
この生き方に、あえて肩書きをつけるのであれば、
主婦(家庭人)でもなく、企業家でもなく、NPO活動家でもない、生き方。
っていうか、どれも同じくらい大切な生き方、でしょうか?
これを“社会企業家”というのでしょうか・・・?
毎年5月と11月、やねだんで開催されている
「故郷創世塾」のチラシの中に・・・
“奉仕の精神の中から産まれる、本物の感動とは何か学びます”
・・・と書かれていました。
この言葉に、理屈抜きにぐっと来ました。
この言葉、私の為に、ここにあってくれたのだと感じました。
是非来年、その塾にも参加してみたいです。
ご縁あって、両親の元・・・この八尾に生まれ、
あれこれ自分探ししてましたが、
33歳の今から、人生の第二ステージが始まる感じがしています。
33歳は、坂本龍馬が死んだ年令。
ちょっと偶然ですが、私が産まれた1977年の
100年前・1877年は、西郷隆盛が城山で自害した年でもあります。
先日のブログでも書きましたが、
島津斉彬と私、168歳違いの、同じ誕生日ですし(笑)☆
今、生きている人、昔、生きていた人と
摩訶不思議でステキなご縁(円)を描きながら
美しい人生を紡いでいく・・・。
世の中はこの先数年は、どこまでも暗くなって行く感じですが
(人が出すマイナスの“気”が、プラスの気よりも多い感じです)
私は、そんな“悲観の雲”には左右されず、
その上にある果てしない青空、そして宇宙を
まっずぐ見つめて、絶対的なプラス思考で、
朗らかに明るく感謝・感動に満ち溢れた
人生を一歩一歩、歩んで参りたいと思います。
幕末の志士や、特攻隊(戦争)で散っていった
すばらしい先輩に、少しでも近づきたいです。
それでは、みなさま、よいお年を・・・(%笑う女%)(%ハート%)
やねだんホームページ:http://www.yanedan.com/